O・J・シンプソン

O・J・シンプソン
O. J. Simpson
refer to caption
O・J・シンプソン(1990年)
基本情報
ポジション ランニングバック
生年月日 (1947-07-09) 1947年7月9日
没年月日 2024年4月10日(2024-04-10)(76歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州サンフランシスコ
身長: 6' 1" =約185.4cm
体重: 212 lb =約96.2kg
経歴
大学 南カリフォルニア大学
AFL/NFL
ドラフト
1969年 / 1巡目全体1位
初出場年 1969年
初出場チーム バッファロー・ビルズ
所属歴
1969-1977 バッファロー・ビルズ
1978-1979 サンフランシスコ・49ers
受賞歴・記録

  • プロボウル選出6回:(1969年、1972年-1976年)
  • オールプロ選出5回:(1972年-1976年)
  • NFL75周年記念オールタイムチーム
  • NFL1970年代オールディケイドチーム
  • ハイズマン賞(1968年)
  • マックスウェル賞(1968年)
  • UPI通信カレッジフットボール最優秀選手(1967年、1968年)
  • ウォルター・キャンプ賞(1967年)
  • シーズン最優秀選手(1973年)
  • NFL最優秀攻撃選手(1973年)
  • バート・ベル賞(1973年)
  • UPI AFL-AFC最優秀選手(1972年、1973年、1975年)
  • AP通信年間最優秀アスリート(1973年)
NFL 通算成績
通算ラッシング獲得ヤード 11,236ヤード
平均獲得ヤード 4.7ヤード
ラッシングTD 61回
パスキャッチ数 203回
通算レシーブ獲得ヤード 2,142ヤード
レシービングTD 14回
Player stats at NFL.com
Player stats at PFR
NFL殿堂入り
カレッジフットボール殿堂入り

オレンタール・ジェームス・シンプソンOrenthal James Simpson , 1947年7月9日 - 2024年4月10日)は、アメリカ合衆国の元アメリカンフットボール選手、俳優カリフォルニア州サンフランシスコ出身。

O. J.(アメリカ合衆国でオレンジジュースの略語)のイニシャルで知られ、「ジュース」の愛称で呼ばれた。引退後、アメリカンフットボール選手としてプロフットボール殿堂入りした。1994年に発生した元妻の殺害事件(O・J・シンプソン事件)の被告人となったことでも知られる。

経歴

生い立ち

アフリカ系アメリカ人の両親の元に生まれる。子供の頃に栄養失調でガニ股となった。当時ギプスを買うお金もシンプソンの家にはなかった[1]

ガリレオ高校に在籍中に、高校のアメリカンフットボールチーム「ガリレオライオンズ」に参加する。

サンフランシスコ市立大学の短期大学部での2年間で2,445ヤードを走り54タッチダウンをあげる活躍を見せ、その能力を見込まれ南カリフォルニア大学に編入学し、わずか2年間の在籍で当時のパシフィック・テン・カンファレンス新記録となる3,423ヤードを走り[2]、35タッチダウンをあげた[3]。4年次の1968年には、1,880ヤードを走り、カンファレンス記録となる23TD、ハイズマン賞[2]、マックスウェル賞を受賞、「(オレンジ)ジュース」のニックネームがつけられた。

プロ入り後

1969年のAFL、NFL合同ドラフトで前年度に1勝12敗1引分というリーグ最悪の成績を残したバッファロー・ビルズに全体1位で指名されて入団した[3]。当時ヘッドコーチのジョン・ラウチはカレッジフットボールと違い1人のランナーが30回、40回とボールキャリアとなることに否定的で、シンプソンをランニングバックとしてだけでなくレシーバーやブロッカー[3]、スペシャルチームでリターナーとしても起用しようと考えた。これはスタールーキーとヘッドコーチとの間に摩擦をもたらした(ラウチコーチは試合当日の朝にも筆記試験を行い、そうしたことでベテラン選手の何人かは嫌気がさしてチームを去っていた。)[4]オークランド・レイダースのようにより早くより遠くを目指すオフェンスをゲームプランにしていたラウチコーチは高齢となり怪我も多くなったジャック・ケンプからハーベン・モーゼス、マーリン・ブリスコーへのロングパスを多用する攻撃を好んでおりランプレイでもウェイン・パトリック、ビル・エンヤットらと併用されたシンプソンは1試合あたり13回のボールキャリーで[3]697ヤードのランに終わった[4]

2年目の1970年シーズンもQBデニス・ショーによってレイダースのようなオフェンスプランが継続して使用された。ニューヨーク・ジェッツ戦では95ヤードのキックオフリターンTDをあげたがシーズン半ばのシンシナティ・ベンガルズ戦のパントリターンでシーズン絶望となるひざの怪我を負い488ヤードの獲得に終わった[3][5]

1971年シーズン開幕直前にラウチコーチが解任され、後任としてハーベイ・ジョンソンコーチが就任した[6]。シーズン開幕後オフェンスラインに怪我人が続出し6試合連続TDが奪えず4試合連続で完封負けするなど[6]NFL最悪の1勝13敗に終わった[3]。この頃、シンプソンは「ハドルの中に知らない奴がいるから自己紹介をしなくてはならないくらいだよ」と語った[6]。この年シンプソンは742ヤードを走り5TDをあげた[6]

1972年にビルズに元ヘッドコーチのルー・セイバンがヘッドコーチとして復帰した。シンプソンのポテンシャルを見抜いたセイバンによってクッキー・ギルクリストが任されたようにシンプソンがオフェンスの中心として起用されるようになった。チームはドラフト2巡目で後にカレッジフットボール殿堂入りを果たすオフェンスラインのレジー・マッケンジーを獲得した。シンプソンが左、シンプソンが右、シンプソンが中央といったプレーが中心となり、ハイズマン賞受賞RBであるシンプソンは一躍リーグでも有数のRBとなった。この年1,251ヤードを走り、シンプソンはNFLのリーディングラッシャーに初めてなった[7]

1973年にシンプソンはNFLの年間記録として初めて2,000ヤードを越える2,003ヤードのランを記録し(それまでの記録は1963年、ジム・ブラウンの1,863ヤード[8]。)、当年のMVPを受賞した。後に年間2,003ヤードの記録は破られるものの、当時は1シーズン14試合制であり、連続14試合での獲得ヤードでシンプソンの記録を超えたNFL選手は未だ現れていない(1978年以降は1シーズン16試合制)[9]。この年開幕週のニューイングランド・ペイトリオッツ戦で250ヤードを走り1試合のラッシング獲得ヤードNFL記録を作った[3][8]。その後4試合連続で100ヤード以上を走り5試合終了時点で813ヤードとなったシンプソンにはジム・ブラウンの記録更新の期待が高まった[3]。スーパーボウルチャンピオンのマイアミ・ドルフィンズ戦では55ヤードと抑えられたが、10月29日のカンザスシティ・チーフスとのマンデーナイトフットボールで157ヤードを走り[10]、シーズン前半7試合で1,000ヤードを突破した[3]。続く2試合で79ヤード、99ヤードに終わったが続く4試合で100ヤード以上を走りシーズン2試合を残した時点で1,584ヤードまで記録を伸ばした[3]。吹雪が舞う中で行われた地元リッチ・スタジアムで行われたニューイングランド・ペイトリオッツ戦で21回のキャリーで219ヤードを走ったシンプソンはジム・ブラウンの記録まで残り1試合で63ヤードまで迫った[3]。最終節シェイ・スタジアムで行われたニューヨーク・ジェッツ戦も雪の中での試合となったが第1Qにジム・ブラウンの記録を更新し2000ヤード達成直前の2プレーでQBファーガソンがシンプソンを休ませるためにFBのジム・ブラックストンにボールを持たせたプレーには記録達成の瞬間を心待ちにした敵地ジェッツのファンからもブーイングが起きた[3]。最後はブラックストンが空けた中央にシンプソンが走るプレーで7ヤードを獲得しこの試合200ヤード、シーズン通算2003ヤードの記録を達成した[3][11][12]。この年新人QB、若い2人のWRであったため、パス攻撃はほとんど選択されず、OJが左、OJが右、OJが中央といったプレーコールがほとんどであった[13]。シンプソンの新記録の影にはタイトエンドも含めたエレクトリックカンパニーと呼ばれる10年で最高のオフェンスラインの存在もあった[8]。この試合残り8分となったところでQBジョー・ファーガソンはハドルで「OJの2000ヤード達成まであと60ヤードだぞ。」とチームメートに声をかけた[8]。新記録達成後の記者会見にシンプソンはオフェンスの全選手を同席させ1人1人を特にレジー・マッケンジーへ感謝の言葉を述べた。またシンプソンはオフェンスの選手やコーチたちに純金製のブレスレットを贈った。その総額は2万ドルを超えたという[8]

シンプソンは1973年の活躍に対して当年の最優秀のプロスポーツ選手に与えられるヒコックベルトを受賞した。シンプソンはNFL記録である6回の1試合200ヤード獲得(そのうち3回は1973年、1973年と1976年には2試合連続で)を記録した。

1974年はNFL2位の1,125ヤードを走り3TD(1レシーブTDを除く)をあげた。

1975年、シンプソンはNFLリーディングラッシャーとなる1,817ヤードを走り、ランで16個、レシーブで7個、合計23TDをあげてこれまでゲイル・セイヤーズが持っていた22TDのNFL記録を更新した[14]。またこの年シンプソンはパスターゲットとしても多用されるようになった[15]

1976年にシンプソンは生まれ育ったアメリカ西海岸のチームへのトレードを求めた[16]。シンプソンの年俸は当時30万ドルでハリウッドでの俳優業やコマーシャル出演、ABCの解説者などでその10倍以上を稼いでいた[16]ロサンゼルス・ラムズとの交渉が行われたがビルズのオーナー、ラルフ・ウィルソンの要求であるマイク・ファニング、ジャック・ヤングブラッド、ローレンス・マッカチオン、ドラフト1巡指名権2つは過大であるとラムズオーナーのキャロル・ローゼンブルームは判断、トレードは成立しなかった[16]。トレードのデッドラインぎりぎりまで他チームとのトレードもうまく進まず、ウィルソンオーナーとシンプソンは3年250万ドルの契約に合意した[16]。この年感謝祭の日に行われたデトロイト・ライオンズ戦でシンプソンは自身の作った1試合ラッシング記録を塗り替える273ヤードを走った[3][16]。この年もNFLリーディングラッシャーとなる1503ヤードを走ったがタッチダウンは9個にとどまった。

1977年シーズンシアトル・シーホークス戦でひざを負傷しシーズン絶望となった。この年シンプソンは7試合の出場、557ヤード獲得に終わった[3][17]

1978年、前ロサンゼルス・ラムズヘッドコーチのチャック・ノックスがビルズの新ヘッドコーチになると、シンプソンはドラフト指名権5つ(1979年のドラフト1巡指名権を含む。)と引き換えにサンフランシスコ・フォーティナイナーズにトレードされたが[18][19]ひざや肩の故障により593ヤードの獲得にとどまった[3]

1979年、フォーティナイナーズにはビル・ウォルシュが新ヘッドコーチに就任したが、右ひざの故障や2歳を目前にした娘が8月に溺死したこともあり、トレーニングキャンプをほとんど休んだ。この年13試合に出場したシンプソンは120回のキャリーで460ヤードの獲得、3TDに終わり[19]1980年1月23日に現役を引退した。

シンプソンは生涯に11,236ヤードのランを獲得し、オールプロに選出されること5回、プロボウルにも6回選ばれた。

ビルズ時代の1975年11月23日のニューイングランド・ペイトリオッツ戦で4タッチダウンをあげた。シンプソンの他にビルズで1試合4TDをあげたのは1963年8月12日のニューヨーク・ジェッツ戦でのクッキー・ギルクリスト、1979年9月9日のシンシナティ・ベンガルズ戦でのローランド・フックス、1979年9月23日のニューヨーク・ジェッツ戦でのジェリー・バトラー、1991年9月8日のピッツバーグ・スティーラーズ戦でのドン・ビービー、1992年9月6日のロサンゼルス・ラムズ戦でのサーマン・トーマス、2004年11月28日のシアトル・シーホークス戦でのウィリス・マゲイヒーの6人のみ[20]

シンプソンは現役最後となったアトランタ・ファルコンズ戦の第1Qで2ヤードゲインしたもののファンブルしてしまい、ボールはランディ・クロスがリカバーした。第4Q終盤、第3ダウン残り10ヤードの場面でシンプソンはボールを受取り左サイドを走ってファーストダウンを獲得しこれが現役最後のプレーとなった。シンプソンは試合後、「ファンブルが自分の現役最後のプレーとなりはしないかと心配したよ」と語った[19]

引退後

引退後は俳優やコメンテーターとして活躍し人気を博した。また、1985年にはハイズマン賞受賞者としては初めてプロフットボール殿堂入りした。

「O・J・シンプソン事件」

逮捕時のマグショット(1994)
詳細は「O・J・シンプソン事件」を参照

シンプソンは1994年、白人の元妻のニコール・ブラウンとその友人のロナルド・ゴールドマンを殺した容疑で逮捕され、のちに起訴された。この事件は被疑者が大スターであることのみならず、捜査員の人種差別的思想の過去など様々な人種問題も絡んでアメリカ国内で非常な関心を集め、テレビ中継されたフリーウェイ上でのカーチェイスの上でのシンプソンの逮捕から判決までの期間、裁判等の動向は逐一トップニュースとなり社会的現象となった。

刑事裁判でシンプソンは無罪となったが、民事裁判ではシンプソンによるゴールドマンへの殺人が認められた。また一連の裁判による多額の借金のためシンプソンはハイズマン賞のトロフィーを売却する羽目になった[21]。シンプソンはこの事件について「If I did it(もし私がやっていたとしたら)」という著書を出版しようとしたが、遺族の猛反対で断念した。

その後の事件

2007年9月16日、シンプソンは5人の男と拳銃で武装してラスベガスのホテルに押し入り、多数のスポーツ記念品を盗んだ容疑で逮捕された[22]。被害者の一人はかつてシンプソンからハイズマントロフィーを購入した人物でシンプソンは「盗まれた記念品と妻子の写真を取り戻そうとしただけで、銃など持っていなかった」と主張したがこれは退けられ、2008年12月5日、シンプソンに合計33年の懲役刑が言い渡された。

仮出所は最短でも収監9年目以降となった[23]。2013年5月、裁判のやり直しを求めたが、同年11月に却下された[24][25]。2017年7月20日、同年10月1日付での仮釈放が許可され、同年10月1日の朝に仮釈放された[26][27]

NFLは公式オンラインストアで選手名と背番号を入力してカスタマイズされたユニフォームを注文することができるが、2018年時点でシンプソンとアーロン・ヘルナンデスとレイ・カルース(共に殺人事件を犯し、有罪となっている)のユニフォームは販売禁止リストに載っている[28]

死没

2024年4月10日にがんのため死去。76歳没。翌11日、家族がXで公表した[29][30]

プレースタイル

シンプソンはディフェンスのホールを探す能力に優れたものを持っており、カットバックする能力がずば抜けていた[1]

主な出演作

また、実現こそしなかったものの、1984年の映画『ターミネーター』でアーノルド・シュワルツェネッガーが演じたT-800役の候補にも挙がっていた。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b O.J.シンプソン
  2. ^ a b Thad Novak (2011年3月30日). “LaMichael James and the Top 25 RBs in Pac-10 History”. bleacherreport.com. 2013年1月13日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p Coffey, Wayne (1980). SUPERSTATAS FOOTBALL'S ALL-TIME GREATS. Mahwah, New Jersey: Watermill Press. pp. pp.111-121. ISBN 0-89375-266-5 
  4. ^ a b “1969 Buffalo Bills - Hellos and Goodbyes”. billszone.com (2004年1月1日). 2010年5月5日閲覧。
  5. ^ “1970 Buffalo Bills - A Fallen Hero - Hellos and Goodbyes”. billszone.com (2004年1月1日). 2010年5月5日閲覧。
  6. ^ a b c d “1971 Buffalo Bills - Worst Team Ever”. billszone.com (2004年1月1日). 2010年5月5日閲覧。
  7. ^ “1972 Buffalo Bills - Turning on the Juice”. billszone.com (2004年1月1日). 2010年5月5日閲覧。
  8. ^ a b c d e “1973 Buffalo Bills - The Birth of the Electric Company”. billszone.com (2004年1月1日). 2010年5月5日閲覧。
  9. ^ “引退したLTはランクイン?RB歴代トップ10 -前編-”. NFL JAPAN (2012年6月19日). 2012年7月3日閲覧。
  10. ^ “MNF History: 1973”. ABC (2002年8月29日). 2013年6月2日閲覧。
  11. ^ Brady's great, but imagine vintage Marino and today's rules ESPN 2008年1月9日
  12. ^ “最終ゲームで達成された2つの偉大な記録”. NFL JAPAN (2010年12月16日). 2010年12月19日閲覧。
  13. ^ “1974 Buffalo Bills - Balance and a Return to the Playoffs”. billszone.com (2004年1月1日). 2010年5月5日閲覧。
  14. ^ “1975 Buffalo Bills - OJ Paves the Way”. billszone.com (2004年1月1日). 2010年5月5日閲覧。
  15. ^ 当時の1シーズンは14試合。
  16. ^ a b c d e “1976 Buffalo Bills - What could have been”. billszone.com (2004年1月1日). 2010年5月5日閲覧。
  17. ^ “1977 Buffalo Bills - End of an Era”. billszone.com (2004年1月1日). 2010年5月5日閲覧。
  18. ^ “1978 Buffalo Bills - Ground Chuck”. billszone.com (2004年1月1日). 2010年5月5日閲覧。
  19. ^ a b c “O.J. Simpson's Years as a 49er”. bleacherreport.com (2008年10月20日). 2010年9月8日閲覧。
  20. ^ McGahee joins exclusive Bills club with 4 TDs Billszone
  21. ^ ハイズマントロフィーが必ずしもNFLでの成功を確約するわけではありません。 NFL JAPAN 2003年12月
  22. ^ “O.J. Simpson Arrested in Armed Robbery of Las Vegas Hotel Room”. FOXニュース (2007年9月16日). 2010年9月8日閲覧。
  23. ^ “OJ Simpson given lengthy sentence”. BBC (2008年12月6日). 2010年9月8日閲覧。
  24. ^ “O・J・シンプソン受刑囚 裁判やり直し求め出廷”. フジテレビ (2013年5月14日). 2013年6月2日閲覧。
  25. ^ “O.J. Simpson denied new trial: why such appeals almost never work”. Christian Science Monitor (2013年11月27日). 2017年7月21日閲覧。
  26. ^ Shapiro, Emily (2017年7月20日). “OJ Simpson granted parole for Las Vegas robbery”. ABC News. http://abcnews.go.com/US/oj-simpson-granted-parole-las-vegas-robbery/story?id=48689499 2017年7月20日閲覧。 
  27. ^ CNN, Meg Wagner, Amanda Wills and AnneClaire Stapleton. “O.J. Simpson goes free: Live updates”. https://edition.cnn.com/2017/07/20/us/oj-simpson-parole-hearing-live/index.html 2017年7月20日閲覧。 
  28. ^ “NFL、19年の服役終え出所した元選手のユニフォーム販売を禁止に”. スポーティングニューズ (2018年10月24日). 2022年7月27日閲覧。
  29. ^ “O・J・シンプソン氏死去 元米フットボール選手”. 47NEWS. 共同通信社. (2024年4月12日). https://www.47news.jp/10778787.html 2024年4月12日閲覧。 
  30. ^ O.J. Simpson [@TheRealOJ32] (2024年4月11日). "On April 10th, our father, Orenthal James Simpson, succumbed to his battle with cancer". X(旧Twitter)より2024年4月12日閲覧

関連項目

  • NFLドラフト全体1位指名選手
  • ロバート・ブレイク (俳優) - 同じように妻殺害容疑で逮捕・起訴され、刑事裁判では無罪となったが、民事裁判で有罪となった。

外部リンク

  • 通算成績と情報 NFL.com, or Pro-Football-Reference (英語)
  • CourtTV's OJ Simpson Criminal Trial Coverage
  • Famous American Trials: The O. J. Simpson Trial
  • O・J・シンプソン - IMDb(英語)
 
業績
1930年代
  • 35 J.バーワンガー(英語版)
  • 36 L.ケリー(英語版)
  • 37 C.フランク(英語版)
  • 38 D.オブライエン(英語版)
  • 39 N.キニック
1940年代
  • 40 T.ハーモン(英語版)
  • 41 B.スミス(英語版)
  • 42 F.シンクウィッチ(英語版)
  • 43 A.バーテッリ(英語版)
  • 44 L.ホーヴァス(英語版)
  • 45 D.ブランチャード(英語版)
  • 46 G.デービス(英語版)
  • 47 J.ルジャック(英語版)
  • 48 D.ウォーカー(英語版)
  • 49 L.ハート(英語版)
1950年代
  • 50 V.ジャノウッチ(英語版)
  • 51 D.キャッツメイアー(英語版)
  • 52 B.ヴェセルズ(英語版)
  • 53 J.ラトナー(英語版)
  • 54 A.アミーチ(英語版)
  • 55 H.キャサディー(英語版)
  • 56 P.ホーナング(英語版)
  • 57 J.D.クロウ(英語版)
  • 58 P.ドーキンス(英語版)
  • 59 B.キャノン(英語版)
1960年代
  • 60 J.ベリーノ(英語版)
  • 61 E.デービス
  • 62 T.バーカー(英語版)
  • 63 R.ストーバック
  • 64 J.ホーティ(英語版)
  • 65 M.ギャレット(英語版)
  • 66 S.スパリアー(英語版)
  • 67 G.ビバン(英語版)
  • 68 O.J.シンプソン
  • 69 S.オーエンス(英語版)
1970年代
  • 70 J.プランケット
  • 71 P.サリバン(英語版)
  • 72 J.ロジャーズ(英語版)
  • 73 J.キャパレッティ(英語版)
  • 74 A.グリフィン(英語版)
  • 75 A.グリフィン(英語版)
  • 76 T.ドーセット(英語版)
  • 77 E.キャンベル
  • 78 B.シムズ(英語版)
  • 79 C.ホワイト(英語版)
1980年代
1990年代
  • 90 T.デトマー(英語版)
  • 91 D.ハワード(英語版)
  • 92 G.トレッタ(英語版)
  • 93 C.ウォード
  • 94 R.サラーム(英語版)
  • 95 E.ジョージ
  • 96 D.ワーフェル(英語版)
  • 97 C.ウッドソン
  • 98 R.ウィリアムズ(英語版)
  • 99 R.デイン(英語版)
2000年代
2010年代
2020年代
AP通信NFL最優秀選手賞
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
NFLリーディングラッシャー(英語版)
1930年代
  • 32 C.バトルズ(英語版)
  • 33 J.ミュシック(英語版)
  • 34 B.フィーザーズ(英語版)
  • 35 D.ラッセル(英語版)
  • 36 T.リーマンズ(英語版)
  • 37 C.バトルズ(英語版)
  • 38 B.ホワイト
  • 39 B.オシュマンスキー(英語版)
1940年代
1950年代
  • 50 M.モトリー(英語版)
  • 51 E.プライス(英語版)
  • 52 D.タウラー(英語版)
  • 53 J.ペリー(英語版)
  • 54 J.ペリー(英語版)
  • 55 A.アミーチ(英語版)
  • 56 R.カサレス(英語版)
  • 57 J.ブラウン
  • 58 J.ブラウン
  • 59 J.ブラウン
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
ヒコックベルト(全米最優秀アスリート賞)
1950年代
1960年代
1970年代
2010年代
2020年代
1977年から2011年まで中断
NFL75周年記念チーム
QB
RB
WR
TE
OL
ロジー・ブラウン
フォレスト・グレッグ(英語版)
アンソニー・ムニョス
ジョン・ハナ
ジム・パーカー
ジーン・アップショー(英語版)
メル・ハイン(英語版)
マイク・ウェブスター
DL
ディーコン・ジョーンズ
ジーノ・マーチェッティ(英語版)
レジー・ホワイト
ジョー・グリーン
ボブ・リリー(英語版)
マーリン・オルセン
LB
DB
ST
P
レイ・ガイ
K
ヤン・ステナルード
PR
ビリー・ジョンソン(英語版)
KR
ゲイル・セイヤーズ
1994年選出
NFL100周年記念チーム
QB
RB
WR
TE
OT
OG
C
  • メル・ハイン(英語版)
  • ジム・オットー(英語版)
  • ドワイト・スティーブンソン(英語版)
  • マイク・ウェブスター
DE
DT
LB
CB
S
  • ジャック・クリスチャンセン(英語版)
  • ケン・ヒューストン(英語版)
  • ロニー・ロット
  • エド・リード
  • エムレン・タネル(英語版)
  • ラリー・ウィルソン
ST
HC
2019年選出
NFL1970年代オールディケードチーム
QB
RB
WR
TE
OL
  • ダン・ディーアドルフ(英語版)
  • アート・シェル(英語版)
  • レイフィールド・ライト(英語版)
  • ロン・ヤーリー(英語版)
  • ジョー・ドゥラムリア
  • ジョン・ハナ
  • ラリー・リトル(英語版)
  • ジーン・アップショー(英語版)
  • ジム・ランガー(英語版)
  • マイク・ウェブスター
DL
LB
DB
  • ウィリー・ブラウン
  • ジミー・ジョンソン(英語版)
  • ロジャー・ウェールリ(英語版)
  • ルイス・ライト(英語版)
  • ディック・アンダーソン(英語版)
  • クリフ・ハリス(英語版)
  • ケン・ヒューストン(英語版)
  • ラリー・ウィルソン
ST
HC
AP通信 オールプロ ファーストチーム選出(5回)
AP通信 1972 オールプロ ファーストチーム
クォーターバック
ランニングバック
ワイドレシーバー
  • フレッド・ビレトニコフ(英語版)レイダース
  • ジーン・ワシントン(49ers
タイトエンド
  • テッド・クワリック(英語版)(49ers)
オフェンシブラインマン
  • ラリー・リトル(英語版)(ドルフィンズ)G
  • フォレスト・ブルー(英語版)(49ers)C
  • ジョン・ニーランド(英語版)(カウボーイズ)G
ディフェンシブエンド
  • クロード・ハンフリー(英語版)ファルコンズ
  • ビル・スタンフィル(英語版)(ドルフィンズ)
ディフェンシブタックル
ラインバッカー
  • クリス・ハンバーガー(英語版)(レッドスキンズ)OLB
  • デイブ・ウィルコックス(英語版)(49ers)OLB
コーナーバック
  • ジミー・ジョンソン(英語版)(49ers)
  • ウィリー・ブラウン(レイダース)
セイフティ
  • ビル・ブラッドリー(英語版)イーグルス
  • ディック・アンダーソン(英語版)(ドルフィンズ)
プレースキッカー






AP通信 1973 オールプロ ファーストチーム
クォーターバック
  • ジョン・ヘイドル(英語版)ラムズ
ランニングバック
ワイドレシーバー
  • ハロルド・ジャクソン(英語版)(ラムズ)
  • ポール・ウォーフィールド(英語版)(ドルフィンズ)
タイトエンド
オフェンシブラインマン
  • ラリー・リトル(英語版)(ドルフィンズ)G
  • フォレスト・ブルー(英語版)49ers)C
  • レジー・マッケンジー(ビルズ)G
ディフェンシブエンド
ディフェンシブタックル
ラインバッカー
  • リー・ロイ・ジョーダン(英語版)(カウボーイズ)MLB
  • アイザイア・ロバートソン(英語版)(ラムズ)OLB
コーナーバック
  • ウィリー・ブラウン(レイダース
  • ロバート・ジェームス(英語版)(ビルズ)
セイフティ
  • ディック・アンダーソン(英語版)(ドルフィンズ)
  • ジェイク・スコット(英語版)(ドルフィンズ)
プレースキッカー






AP通信 1974 オールプロ ファーストチーム
クォーターバック
ランニングバック
ワイドレシーバー
  • クリフ・ブランチ(英語版)(レイダース)
  • ドリュー・ピアソン(英語版)カウボーイズ
タイトエンド
オフェンシブラインマン
  • ジム・ランガー(英語版)(ドルフィンズ)C
  • ジーン・アップショー(英語版)(レイダース)G
  • アート・シェル(英語版)(レイダース)T
ディフェンシブエンド
ディフェンシブタックル
ラインバッカー
コーナーバック
  • ロバート・ジェームス(英語版)(ビルズ)
  • エミット・トーマス(英語版)チーフス
セイフティ
  • トニー・グリーン(英語版)(ビルズ)
  • ジェイク・スコット(英語版)(ドルフィンズ)
プレースキッカー
  • チェスター・マーコル(英語版)(パッカーズ)






AP通信 1975 オールプロ ファーストチーム
クォーターバック
ランニングバック
  • O・J・シンプソン(ビルズ
  • チャック・フォアマン(英語版)(バイキングス)
ワイドレシーバー
タイトエンド
オフェンシブラインマン
  • ロン・イェリー(英語版)(バイキングス)T
  • ジム・ランガー(英語版)(ドルフィンズ)C
  • ジョージ・クンツ(英語版)コルツ)T
ディフェンシブエンド
ディフェンシブタックル
ラインバッカー
コーナーバック
  • メル・ブラント(スティーラーズ)
  • ロジャー・ウェルリ(英語版)(カージナルス)
セイフティ
  • ケン・ヒューストン(英語版)(レッドスキンズ)
  • ポール・クラウス(英語版)(バイキングス)
プレースキッカー






AP通信 1976 オールプロ ファーストチーム
クォーターバック
  • バート・ジョーンズ(英語版)コルツ
ランニングバック
ワイドレシーバー
タイトエンド
オフェンシブラインマン
  • ジム・ランガー(英語版)(ドルフィンズ)C
ディフェンシブエンド
ディフェンシブタックル
ラインバッカー
  • アイザイア・ロバートソン(英語版)(ラムズ)OLB
コーナーバック
  • モンテ・ジャクソン(英語版)(ラムズ)
  • ロジャー・ウェルリ(英語版)(カージナルス)
セイフティ
  • クリフ・ハリス(英語版)(カウボーイズ)
  • トミー・カサノバ(英語版)ベンガルズ
プレースキッカー
パンター
キックリターナー




  1. O・J・シンプソン
  2. ジョージ・カンズ
  3. リロイ・キーズ
  4. ミーン・ジョー・グリーン
  5. グレッグ・クック
  6. ロン・セラーズ
  7. テッド・クワリック
  8. ラリー・スミス
  9. マーティ・ドムレス
  10. ジム・シーモア
  11. ビル・スタンフィル
  12. リッチ・ムーア
  13. フレッド・ドライアー
  14. ルーファス・メイズ
  15. ロン・プリチャード
  16. ジーン・ワシントン
  17. ジョン・シャイナー
  18. ボブ・バビッチ
  19. ロジャー・ウェールリ
  20. ロン・ジョンソン
  21. ボブ・クライン
  22. アート・トムズ
  23. ジム・マーサリス
  24. カルビン・ヒル
  25. エディ・ヒントン
  26. デイブ・フォーリー
 
各年のNFLドラフト
  • 1936
  • 1937
  • 1938
  • 1939
  • 1940
  • 1941
  • 1942
  • 1943
  • 1944
  • 1945
  • 1946
  • 1947
  • 1948
  • 1949
  • 1950
  • 1951
  • 1952
  • 1953
  • 1954
  • 1955
  • 1956
  • 1957
  • 1958
  • 1959
  • 1960
  • 1961
  • 1962
  • 1963
  • 1964
  • 1965
  • 1966
  • 1967
  • 1968
  • 1969
  • 1970
  • 1971
  • 1972
  • 1973
  • 1974
  • 1975
  • 1976
  • 1977
  • 1978
  • 1979
  • 1980
  • 1981
  • 1982
  • 1983
  • 1984
  • 1985
  • 1986
  • 1987
  • 1988
  • 1989
  • 1990
  • 1991
  • 1992
  • 1993
  • 1994
  • 1995
  • 1996
  • 1997
  • 1998
  • 1999
  • 2000
  • 2001
  • 2002
  • 2003
  • 2004
  • 2005
  • 2006
  • 2007
  • 2008
  • 2009
  • 2010
  • 2011
  • 2012
  • 2013
  • 2014
  • 2015
  • 2016
  • 2017
  • 2018
  • 2019
  • 2020
  • 2021
  • 2022
  • 2023
1930年代
  • 1936 J.バーワンガー(英語版)
  • 1937 S.フランシス(英語版)
  • 1938 C.デービス(英語版)
  • 1939 K.オルドリッチ(英語版)
1940年代
  • 1940 G.カフェゴ(英語版)
  • 1941 T.ハーモン(英語版)
  • 1942 B.ダドリー(英語版)
  • 1943 F.シンクウィッチ(英語版)
  • 1944 A.バーテリ(英語版)
  • 1945 C.トリッピ(英語版)
  • 1946 F.ダンスウィック(英語版)
  • 1947 B.フェニモア(英語版)
  • 1948 H.ギルマー(英語版)
  • 1949 C.ベドナリク(英語版)
1950年代
  • 1950 L.ハート(英語版)
  • 1951 K.ローテ(英語版)
  • 1952 B.ウェイド(英語版)
  • 1953 H.バブコック(英語版)
  • 1954 B.ギャレット(英語版)
  • 1955 G.ショー
  • 1956 G.グリック(英語版)
  • 1957 P.ホーナング(英語版)
  • 1958 K.ヒル(英語版)
  • 1959 R.ダンカン(英語版)
1960年代
  • 1960 B.キャノン(英語版)
  • 1961 T.メイソン(英語版)
  • 1962 E.デービス
  • 1963 T.ベイカー(英語版)
  • 1964 D.パークス(英語版)
  • 1965 T.フレデリクソン(英語版)
  • 1966 T.ノービス(英語版)
  • 1967 Bu.スミス
  • 1968 R.ヤリー(英語版)
  • 1969 O.J.シンプソン
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般
  • FAST
  • ISNI
  • VIAF
  • WorldCat
国立図書館
  • スペイン
  • フランス
  • BnF data
  • カタルーニャ
  • ドイツ
  • イスラエル
  • アメリカ
  • スウェーデン
  • 日本
  • チェコ
  • ギリシャ
  • 韓国
  • オランダ
  • ポーランド
人物
  • ドイッチェ・ビオグラフィー
その他
  • SNAC
  • IdRef