ウィリー・メイズ

ウィリー・メイズ
Willie Mays
ウィリー・メイズ(左)と ロイ・キャンパネラ(右)
(1961年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アラバマ州ウェストフィールド
生年月日 (1931-05-06) 1931年5月6日(93歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手(主に中堅手
プロ入り 1950年
初出場 1951年5月25日
最終出場 1973年9月9日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
  • ニューヨーク・ジャイアンツ
    サンフランシスコ・ジャイアンツ (1951 - 1952, 1954 - 1972)
  • ニューヨーク・メッツ (1972 - 1973)
アメリカ野球殿堂
殿堂表彰者
選出年 1979年
得票率 94.68%
選出方法 全米野球担当記者協会選出
この表について
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

ウィリー・ハワード・メイズ・ジュニアWillie Howard Mays Jr., 1931年5月6日 - )は、アメリカ合衆国アラバマ州ウェストフィールド出身の元プロ野球選手中堅手)。右投右打。ニックネームは「セイ・ヘイ・キッド(The Say Hey Kid)」。

通算3283安打、660本塁打、338盗塁。首位打者1回、本塁打王4回、盗塁王4回、MVP2回。長打力を含め、走攻守すべてを兼ね備えた伝説的な名外野手と称される[1]

MLB史上最高の「コンプリート・プレーヤー」と称され、史上最高の中堅手と評価されることが多い[2][3]

経歴

ジャイアンツ時代

1948年から1949年ニグロリーグバーミンガム・ブラックバロンズ(英語版)に所属した後、1950年にニューヨーク・ジャイアンツ(現サンフランシスコ・ジャイアンツ)と契約。

1951年にAAA級のミネアポリス・ミラーズ(英語版)で35試合に出場して打率.477を記録し、同年の5月25日にメジャーデビューを果たした。当初は12打数連続無安打だったが、13打数目でウォーレン・スパーンからメジャー初安打・初本塁打を記録[4]。このシーズンは121試合に出場し、打率.274、20本塁打、68打点を記録し、新人王に選出された。

1952年に34試合に出場した後、朝鮮戦争に従軍し、一時的に野球を離れる。

1954年に復帰。打率.345で首位打者のタイトルを獲得し、41本塁打、110打点の活躍で、テッド・クルズースキーらを抑えてMVPに選出された[5]。ジャイアンツはナリーグのペナントを制し、ワールドシリーズではクリーブランド・インディアンスを4連勝で下して優勝。このシリーズの第1戦で、メイズは「ザ・キャッチ」として語り継がれる伝説的ファインプレーを披露している[6]

1955年には51本塁打で本塁打王のタイトルを獲得。また、24歳137日で達成したシーズン50本塁打2007年プリンス・フィルダー(23歳139日)に更新されるまでメジャー最年少記録だった[7]

1956年は36本塁打、40盗塁を記録。

1957年は35本塁打、36盗塁で2年連続して30本塁打・30盗塁を達成。

1957年シーズン終了後ジャイアンツは本拠地をニューヨークからサンフランシスコへ移転。新しいホームグラウンドのキャンドルスティック・パークは左翼から本塁へ海からの強風が吹きこみ、メイズの引っ張った打球も強風で押し戻されることが多かったが[6]20-20-20を達成。

1962年にはシーズン49本塁打で2回目の本塁打王のタイトルを獲得。

1965年は自己最多の52本塁打を記録し、サンディー・コーファックスらを抑えて2回目のMVPに選出された[8]。このシーズンの8月には17本塁打を記録し、月間本塁打のナ・リーグ新記録を樹立[9]し、9月13日に史上5人目となる通算500本塁打を達成した。

1966年5月4日に通算512本目の本塁打で、メル・オットのナ・リーグ通算最多本塁打記録を更新[9]

しかし、1967年以降はシーズン30本塁打・100打点を記録することはできず、成績は徐々に下降線をたどる。

1967年は不調が続き、スポーツ・イラストレイテッド誌は「メイズの両目の下にはクマができている。おそらく不振で眠れないのだろう。すでに36歳。エネルギッシュで颯爽としていたプレーは、過去のものとなってしまった」との記事を掲載した。これに対し、メイズは反論をせず、記事を認めるコメントをしている[6]。その一方で1970年1月17日に「スポーティング・ニュース」はメイズを1960年代最高の選手(Player of the Decade)に選出した[9]

1969年9月22日、ベーブ・ルース以来史上2人目となる通算600本塁打を達成。

1970年7月18日、史上10人目となる通算3000安打を達成。

メッツ時代

メッツ時代のメイズ
(1972年)

1972年5月12日にチャーリー・ウィリアムズ(英語版)と金銭5万ドルでニューヨーク・メッツへトレード移籍[10]。なお、これまでの成績を評し、ジャイアンツは同日、メイズの在籍時の背番号24』を永久欠番に指定。ジャイアンツとしては3人目、さらにサンフランシスコにフランチャイズを移転してから初の永久欠番選手だった[11]

メッツ移籍後はさすがに衰えは隠せず、移籍初年の1972年は打率.250、8本塁打だった。

1973年、8月17日の試合で現役最後の660号本塁打を放ち、この後で今シーズン限りの現役引退を表明する。シーズンの成績は自己最低の打率.211、6本塁打だったが同年、メッツはワールドシリーズに進出しており、メイズは第1試合、第2試合で先発出場、第2試合では適時打を放ち、第3試合は代打で出場、その代打で単打を放ったのが生涯最後の安打となった。

メッツ移籍後、当時のオーナー・ジョアン・ペイソンに引退後の自身の背番号『24』がジャイアンツ時代と同じく永久欠番にすると言明されていたが、ペイソンは1975年に死去したため、その欠番指定が反故にされた形となってしまう。

引退後

メイズのジャイアンツ在籍時の背番号「24」。
サンフランシスコ・ジャイアンツの永久欠番1972年指定。
メイズのメッツ在籍時の背番号「24」。
ニューヨーク・メッツの永久欠番2022年指定。

1979年、432票中409票(約94%)の得票で有資格初年度にアメリカ野球殿堂入りを果たした[12]

1979年10月29日にカジノ経営に絡む企業の仕事を受けたとして、MLBコミッショナーボウイ・キューンから追放処分を受ける。同様の処分は1983年にミッキー・マントルにも科せられていたが、1985年3月18日にMLBコミッショナーのピーター・ユベロスが2人の追放を解除している[13]

2015年11月24日にホワイトハウスバラク・オバマ大統領より大統領自由勲章を授与された[14]

2022年、最後にプレーしたニューヨーク・メッツにおいて、前述の反故にされていた在籍時の背番号『24』の永久欠番を改めて指定されることになり、同年8月27日に開催されたメッツのオールドタイマーズデイにて指定された。

選手としての特徴

MLBを代表する5ツールプレイヤー。「ライフルアーム」と呼ばれた強肩の持ち主。

通算660本塁打で引退当時はベーブ・ルースハンク・アーロンに次ぐ3位だった。22年の現役生活で通算打率.302を記録した高打率を誇り、1951年に新人王、ゴールドグラブ賞12回、本塁打王4回、盗塁王4回を獲得している。

オールスターにも1954年から1973年まで20回連続で出場した。テッド・ウィリアムズは「オールスターはメイズのためにつくられた」と述べている。

逸話

ザ・キャッチ

1954年のワールドシリーズはメイズ擁するニューヨーク・ジャイアンツとクリーブランド・インディアンスとの対戦で、第1戦は9月29日、ジャイアンツの本拠地ポロ・グラウンズで行われた。

2対2の同点で迎えた8回表、インディアンスは先頭のラリー・ドビーが四球で出塁、続くアル・ローゼンの安打で無死一・二塁とチャンスを作る。ここで打席に立ったビック・ワーツ(英語版)が打った打球は中堅手のメイズの後方への大飛球となる。この瞬間、誰もがインディアンスの勝ち越しを予期し、試合が決まったと思った。

しかし、この打球を懸命の背走で追ったメイズは、ほとんど振り向くことなく、全速力のままボールの落下点に到達。グラブを大きく開いたメイズは肩越しに捕球すると同時に反転、内野に送球すると勢いで前方に倒れこんだ。固唾を飲んで打球の行方を追っていた大観衆は、安打性の当たりがアウトになったことを悟り、大歓声をあげた。ジャイアンツが絶体絶命のピンチを脱した一方で、インディアンスは試合を決めるチャンスを逃した。結局この試合は延長戦にもつれ込み、最後はジャイアンツがサヨナラ勝ちを収めた。そのまま勢いに乗ったジャイアンツは、下馬評で有利と見られていたインディアンスに4連勝のスウィープで優勝した[6]

このメイズのファイン・プレーはシリーズの流れを決し、メイズがボールをグラブに収める瞬間を見事にとらえた写真が広まったこともあり、「ザ・キャッチ」として今も語り継がれている。

また、ワーツは後に「あの打球が三塁打かホームランになったら、みな私の事など忘れているだろう」と語っていたという。

その他

「ザ・キャッチ」のプレーは有名だが、メイズは4度出場したワールドシリーズにおいて特筆すべきプレーは同プレーが唯一と言ってよく、その8年後に出場したニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズでは第1戦で3安打、1打点を記録するものの、第2戦以降は24打数4安打、0打点であった。ワールドシリーズ通算でも打率.239、本塁打0本に終わっており、メイズはワールドシリーズで本来の実力が発揮出来なかった名選手の1人に挙げられている[15]

同時代に活躍したハンク・アーロンと比較されることが多かった。一時期は地味なアーロンに比べ華やかなメイズの評判が高かったが、1974年にアーロンがベーブ・ルースの通算本塁打記録を更新してからは評価が逆転した[6]。なお、殿堂入りの際に「あなたの現役時代においてもっともすぐれた選手は誰だったと思いますか」と問われたメイズは、「俺こそがそうだった」と答えている。

バリー・ボンズの名付け親としてもよく知られており、バリーがジャイアンツに移籍する際にメイズの永久欠番である「24」をつけたいと依頼し、これにはメイズも快諾したが、周囲の強い反対を受けた。そのためバリーの父であり、メイズのチームメイトであったボビー・ボンズがつけていた隣の「25」をつけた逸話がある。

若かりし頃の野村克也に「ムース」のあだ名をつけたのはメイズである。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1951 NYG
SF
121 524 464 59 127 22 5 20 219 68 7 4 1 -- 57 7 2 60 11 .274 .356 .472 .828
1952 34 144 127 17 30 2 4 4 52 23 4 1 0 -- 16 1 1 17 2 .236 .326 .409 .735
1954 151 641 565 119 195 33 13 41 377 110 8 5 0 7 66 14 2 57 12 .345 .411 .667 1.078
1955 152 670 580 123 185 18 13 51 382 127 24 4 0 7 79 13 4 60 12 .319 .400 .659 1.059
1956 152 651 578 101 171 27 8 36 322 84 40 10 0 3 68 20 1 65 16 .296 .369 .557 .926
1957 152 669 585 112 195 26 20 35 366 97 38 19 0 6 76 15 1 62 14 .333 .407 .626 1.033
1958 152 685 600 121 208 33 11 29 350 96 31 6 0 6 78 12 1 56 11 .347 .419 .583 1.002
1959 151 649 575 125 180 43 5 34 335 104 27 4 0 6 65 9 2 58 11 .313 .381 .583 .964
1960 153 669 595 107 190 29 12 29 330 103 25 10 0 9 61 11 4 70 15 .319 .381 .555 .936
1961 154 659 572 129 176 32 3 40 334 123 18 9 0 4 81 15 2 77 14 .308 .393 .584 .977
1962 162 706 621 130 189 36 5 49 382 141 18 2 0 3 78 11 4 85 19 .304 .384 .615 .999
1963 157 671 596 115 187 32 7 38 347 103 8 3 0 7 66 5 2 83 15 .314 .380 .582 .962
1964 157 665 578 121 171 21 9 47 351 111 19 5 1 3 82 13 1 72 11 .296 .383 .607 .990
1965 157 638 558 118 177 21 3 52 360 112 9 4 2 2 76 16 0 71 11 .317 .398 .645 1.043
1966 152 629 552 99 159 29 4 37 307 103 5 1 1 4 70 11 2 81 13 .288 .368 .556 .924
1967 141 544 486 83 128 22 2 22 220 70 6 0 2 3 51 7 2 92 12 .263 .334 .453 .787
1968 148 573 498 84 144 20 5 23 243 79 12 6 0 6 67 7 2 81 13 .289 .372 .488 .860
1969 117 459 403 64 114 17 3 13 176 58 6 2 0 4 49 7 3 71 8 .283 .362 .437 .799
1970 139 566 478 94 139 15 2 28 242 83 5 0 0 6 79 3 3 90 7 .291 .390 .506 .896
1971 136 537 417 82 113 24 5 18 201 61 23 3 1 4 112 11 3 123 8 .271 .425 .482 .907
1972 19 67 49 8 9 2 0 0 11 3 3 0 1 0 17 1 0 5 4 .184 .394 .224 .618
NYM 69 242 195 27 52 9 1 8 87 19 1 5 3 0 43 5 1 43 5 .267 .402 .446 .848
'72計 88 309 244 35 61 11 1 8 98 22 4 5 4 0 60 6 1 48 9 .250 .400 .402 .802
1973 66 239 209 24 44 10 0 6 72 25 1 0 1 1 27 0 1 47 7 .211 .303 .344 .647
MLB:22年 2992 12497 10881 2062 3283 523 140 660 6066 1903 338 103 13 91 1464 214 44 1526 251 .302 .384 .557 .941
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • NYG(ニューヨーク・ジャイアンツ)は、1958年にSF(サンフランシスコ・ジャイアンツ)に球団名を変更

年度別守備成績

内野守備


一塁(1B) 三塁(3B) 遊撃(SS)




































1963 SF - - 1 0 0 0 0 ----
1964 1 6 1 0 1 1.000 1 0 1 0 0 1.000 1 0 0 0 0 ----
1968 1 9 0 0 1 1.000 - -
1969 1 6 0 0 1 1.000 - -
1970 5 34 3 0 3 1.000 - -
1971 48 384 27 11 43 .974 - -
1972 NYM 11 75 2 1 3 .987 - -
1973 17 143 4 3 9 .980 - -
MLB 84 657 37 15 61 .979 1 0 1 0 0 1.000 2 0 0 0 0 ----
外野守備


左翼(LF) 中堅(CF) 右翼(RF)




































1948 BBB 11 17 1 2 0 .900 - 1 0 0 0 0 ----
1951 NYG
SF
- 121 349 13 9 2 .976 -
1952 - 34 110 5 1 2 .991 -
1954 - 151 443 13 7 9 .985 -
1955 - 152 399 22 8 8 .981 -
1956 - 152 405 14 9 6 .979 -
1957 - 150 407 14 9 4 .979 -
1958 - 151 429 15 9 2 .980 -
1959 - 147 351 6 5 2 .986 -
1960 - 152 391 11 8 2 .980 -
1961 - 153 385 7 8 3 .980 -
1962 - 161 425 6 4 1 .991 -
1963 - 157 398 8 8 1 .981 -
1964 - 155 364 9 6 4 .984 -
1965 1 6 0 0 0 1.000 147 323 10 5 4 .985 4 5 2 1 0 .875
1966 1 1 0 0 0 1.000 144 358 8 7 2 .981 5 9 0 0 0 1.000
1967 - 134 278 3 7 0 .976 -
1968 - 141 302 7 7 2 .978 1 2 0 0 0 1.000
1969 - 106 202 4 5 0 .976 2 5 0 0 0 1.000
1970 - 128 272 6 7 3 .975 -
1971 - 84 193 3 6 1 .970 -
1972 - 14 30 0 0 0 1.000 -
NYM - 50 107 3 3 1 .973 -
'72計 - 64 137 3 3 1 .979 -
1973 - 45 103 1 1 0 .990 -
NLB 11 17 1 2 0 .900 - 1 0 0 0 0 ----
MLB 2 7 0 0 0 1.000 2829 7024 188 139 59 .981 12 21 2 1 0 .958
  • 各年度の太字はリーグ最高、赤文字はMLB歴代最高
  • 各年度の太字年ゴールドグラブ賞受賞

タイトル

  • 首位打者:1回(1954年)
  • 本塁打王:4回(1955年、1962年、1964年、1965年)
  • 盗塁王:4回(1956年 - 1959年) 

表彰

記録

背番号

脚注

  1. ^ 大谷翔平 伝説的名手メイズ以来66年ぶりの記録 45本塁打、20盗塁、6三塁打” (2021年9月26日). 2022年9月17日閲覧。
  2. ^ “All-Time #MLBRank: The 10 greatest center fielders” (英語). ESPN.com (2016年7月14日). 2017年1月14日閲覧。
  3. ^ “Best center fielders of all time” (英語). Fox Sports (2011年2月27日). 2017年1月14日閲覧。
  4. ^ Stein, Fred; D. Renino, Christopherur. “The Ballplayers - Willie Mays” (英語). BaseballLibrary.com. 2009年2月20日閲覧。
  5. ^ “1954 Awards Voting”. Baseball-Reference.com. 2021年1月12日閲覧。
  6. ^ a b c d e 康煕奉 「スーパーメジャーな男たち第14回 WILLE MAYS ウィリー・メイズ」『スラッガー』1999年8月号、日本スポーツ企画出版社、1999年、雑誌05456-8、86 - 89頁
  7. ^ “Cardinals vs. Brewers - Recap - September 25, 2007” (英語). ESPN.com. 2009年2月20日閲覧。
  8. ^ “1965 Awards Voting”. Baseball-Reference.com. 2021年1月12日閲覧。
  9. ^ a b c “Willie Mays from the Chronology” (英語). BaseballLibrary.com. 2009年2月20日閲覧。
  10. ^ “Willie Mays Transactions” (英語). Baseball-Reference.com. 2009年2月20日閲覧。
  11. ^ “Retired Uniform Numbers in the National League” (英語). Baseball Almanac. 2009年2月20日閲覧。
  12. ^ “HALL OF FAME VOTING: BASEBALL WRITERS ELECTION 1979 ELECTION” (英語). National Baseball Hall of Fame and Museum. 2009年2月20日閲覧。
  13. ^ 週刊ベースボール別刊桔梗号「大リーグ厳選の名場面100」92-93ページ
  14. ^ “メイズ&故ベラ両氏に大統領自由勲章授与 球界からは過去7名”. スポーツニッポン (2015年11月25日). 2021年1月12日閲覧。
  15. ^ ベースボール・マガジン社刊 スポーツ伝説シリーズ22 メジャーリーグ「ワールドシリーズ伝説」67-68ページ
  16. ^ “Most Seasons on All-Star Roster”. Baseball-Reference.com. 2021年1月12日閲覧。

関連項目

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、ウィリー・メイズに関連するカテゴリがあります。
ウィキクォートにen:Willie Maysに関する引用句集があります。
  • 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
  • Baseballhalloffame.org(英語)アメリカ野球殿堂National Baseball Hall of Fame)による紹介
  • 刺殺数記録 (Baseball-Almanac.com)
 
業績
ナショナルリーグMVP
チャルマーズ賞
リーグ表彰

以下、全米野球記者協会(BBWAA)による表彰

1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
ナショナルリーグ新人王
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
ナショナルリーグ首位打者
1870年代
1880年代
1890年代
1900年代
1910年代
1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
ナショナルリーグ本塁打王
1870年代
1880年代
1890年代
1900年代
  • 00 ハーマン・ロング(英語版)
  • 01 サム・クロフォード
  • 02 トミー・リーチ(英語版)
  • 03 ジミー・シェッカード
  • 04 ハリー・ラムリー(英語版)
  • 05 フレッド・オドウェル(英語版)
  • 06 ティム・ジョーダン(英語版)
  • 07 デーブ・ブレイン(英語版)
  • 08 ティム・ジョーダン(英語版)
  • 09 レッド・マレー(英語版)
1910年代
1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
ナショナルリーグ盗塁王
1880年代
1890年代
1900年代
1910年代
1920年代
1930年代
  • 30 カイカイ・カイラー
  • 31 フランキー・フリッシュ
  • 32 チャック・クライン
  • 33 ペッパー・マーティン(英語版)
  • 34 ペッパー・マーティン(英語版)
  • 35 オージー・ギャラン(英語版)
  • 36 ペッパー・マーティン(英語版)
  • 37 オージー・ギャラン(英語版)
  • 38 スタン・ハック(英語版)
  • 39 スタン・ハック(英語版)リー・ハンドリー(英語版)
1940年代
1950年代
  • 50 サム・ジェスロー(英語版)
  • 51 サム・ジェスロー(英語版)
  • 52 ピー・ウィー・リース
  • 53 ビル・ブルトン(英語版)
  • 54 ビル・ブルトン(英語版)
  • 55 ビル・ブルトン(英語版)
  • 56 ウィリー・メイズ
  • 57 ウィリー・メイズ
  • 58 ウィリー・メイズ
  • 59 ウィリー・メイズ
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代

※1957年のみ、両リーグ合同で選出。ミノーソとケーラインはアメリカンリーグ所属選手。

  • 投手
  • 捕手
  • 一塁手
  • 二塁手
  • 三塁手
  • 遊撃手
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代

太字は現役選手

太字は現役選手

投  手
捕  手
内野手
外野手
ヒコックベルト(全米最優秀アスリート賞)
1950年代
1960年代
1970年代
2010年代
2020年代
1977年から2011年まで中断
ニューヨーク・ジャイアンツ 1954年のワールドシリーズ ロースター
サンフランシスコ・ジャイアンツ
球団
歴代本拠地
文化
永久欠番
ジャイアンツ球団殿堂
ワールドシリーズ優勝(08回)
ワールドシリーズ敗退(12回)
リーグ優勝(23回)
できごと
傘下マイナーチーム
ニューヨーク・メッツ
球団
歴代本拠地
文化
永久欠番
メッツ球団殿堂
ワールドシリーズ優勝(2回)
ワールドシリーズ敗退(3回)
リーグ優勝(5回)
傘下マイナーチーム
典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般
  • FAST
  • ISNI
  • VIAF
国立図書館
  • ドイツ
  • アメリカ
  • 日本
  • オランダ
学術データベース
  • CiNii Books
  • CiNii Research
人物
  • ドイッチェ・ビオグラフィー
その他
  • 公文書館(アメリカ)
  • SNAC