佐竹義廉

曖昧さ回避 この項目では、佐竹北家の第3代当主について記述しています。第6代当主の同名の人物については「佐竹義廉 (北家六代当主)」をご覧ください。
 
凡例
佐竹 義廉
時代 戦国時代
生誕 永正13年(1516年
死没 永禄8年(1565年
改名 乙菊丸(幼名)→義廉
別名 又七郎(通称)、左衛門尉(受領名)
主君 佐竹義篤→義昭→義重
氏族 佐竹北家
父母 父:佐竹義信、養父:佐竹義住
兄弟 義住義廉
佐竹義篤の娘
義斯
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佐竹 義廉(さたけ よしかど)は、日本の戦国時代の武将常陸国戦国大名佐竹氏の一族で、佐竹北家第3代当主。初代当主佐竹義信の次男。本家当主佐竹義篤の従兄弟にあたる。

兄の義住が部垂の乱で戦死したために北家を継いだ。東家の義堅とともに義篤の子の義昭の補佐を務め、国政を取り仕切った。主に外交面で活躍した。義廉の没後、嫡男の義斯が北家の家督を継いだ。

五本骨扇に月丸紋佐竹北家第3代当主(1539年 - 1565年)
宗家

分家・支流

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