佐竹義幹

曖昧さ回避 佐竹義本」、「佐竹義許」、あるいは「佐竹義祇」とは別人です。

佐竹 義幹(さたけ よしもと、寛政3年(1791年) - 嘉永5年1月27日(1852年2月16日[1])は、佐竹氏一門の佐竹西家15代当主。久保田藩大館第9代所預。

父は西家佐竹義種。母は今宮義栄の娘。正室多賀谷氏。子は佐竹義茂。幼名は長菊、元千代。通称は隆之助、石見、大炊助。諱は義隣、義幹。

経歴

寛政3年(1791年)、大館城代佐竹義種の子として生まれる。大館城代の父義種が家政不行き届きで隠居を命じられたため、家督を相続した。大館城代として藩主佐竹義厚佐竹義睦に仕えた。文政7年(1824年)、藩主義厚の将軍徳川家斉への拝謁の際に同席し、拝謁する。嘉永2年(1849年)、大館の巡察に訪れた幕府国目付の供応に当る。嘉永5年(1852年)死去。享年62。家督は嫡男義茂が相続した。

脚注

  1. ^ 『大館市史』第5巻(大館市教育委員会、1990年)p.97
宗家

分家・支流

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東家
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