金性俊
サッカー選手の「金聖埈」とは別人です。 |
基本情報 | |
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本名 | 金 性俊 |
階級 | ライトフライ級 |
身長 | 159cm |
国籍 | 韓国 |
誕生日 | (1953-06-03) 1953年6月3日 |
出身地 | 釜山市 |
死没日 | (1989-02-03) 1989年2月3日(35歳没) |
死没地 | ソウル市 |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 48 |
勝ち | 28 |
KO勝ち | 13 |
敗け | 14 |
引き分け | 6 |
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金 性俊(キム・ソンジュン、朝鮮語: 김성준、英語: Sung-Jun Kim、1953年6月3日 - 1989年2月3日))は、韓国のプロボクサー。釜山市出身。元WBC世界ライトフライ級王者。
来歴
1971年12月28日、大韓民国(以後、単に韓国)でプロデビュー。
1975年8月31日、11戦目で韓国ライトフライ級王座を獲得した。同王座は2度防衛後に返上するも、1977年1月22日に再獲得し、さらに1度の防衛に成功した。
1978年1月26日、25戦目でOBF東洋ライトフライ級王者鄭相一に挑戦し、12回判定勝ちで王座を獲得した。
1978年3月25日、初防衛戦で天龍数典と対戦し、3回KO勝ちで初防衛に成功した。
1978年7月9日、2度目の防衛戦で鄭相一と再戦し、12回判定負けで王座から陥落した。
1978年9月30日、30戦目で世界初挑戦。WBC世界ライトフライ級王者ネトルノイ・ソー・ボラシングに挑戦し、3回KO勝ちで世界王座を獲得した。
1979年には3度の防衛戦を行い、王座を防衛。
1980年1月3日、4度目の防衛戦で中島成雄と対戦し、15回判定負けで王座から陥落した[1]。
1980年5月9日、のちのIBF世界スーパーバンタム級王者李承勲と対戦し、10回判定負け。
1980年7月28日、1階級上のWBC世界フライ級王者大熊正二に挑戦し、15回判定負けで2階級制覇に失敗した[1]。
その後は、ミゲル・カントやラファエル・オロノに敗れ、1982年7月11日の試合を最後に引退した。
引退後はパンチドランカー症状や貧困に悩まされ、1989年2月3日、ソウル市内でビルから飛び降りて自殺した。35歳没。
獲得タイトル
脚注
- ^ a b ボクシング・マガジン編集部 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社、2002年
関連項目
外部リンク
- 김성준 - 한국권투위원회 (韓国拳闘委員会, KBC) (朝鮮語)
- 金性俊の戦績 - BoxRec(英語)
前王者 鄭相一 | OPBF東洋太平洋ライトフライ級王者 1978年1月26日 - 1978年7月9日 | 次王者 鄭相一 |
前王者 ネトルノイ・ソー・ボラシング | 第5代WBC世界ライトフライ級王者 1978年9月30日 - 1980年1月3日 | 次王者 中島成雄 |
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