田代静夫

田代 静夫
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県北九州市
選手情報
ポジション 投手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
この表について
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プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

田代 静夫(たしろ しずお)は、福岡県出身の元アマチュア野球選手(投手)。

来歴・人物 

九州工業高校の3年生時に、1966年夏の甲子園県予選では準決勝で流敏晴らがいる小倉商業高校に惜敗、甲子園には出場できなかった。

その年のドラフト会議で阪急ブレーブスから5位指名を受けたが入団を拒否し[1]熊谷組に入社した。同僚には高校先輩の山本和生がいた。

引退後は、社業の傍ら専修大学に進学し、1970年代後半から台湾の建設会社である華熊営造に勤務、役員となった[2]

脚注

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  1. ^ “過去のドラフト 第2回(1966年) - ドラフト会議 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2020年6月23日閲覧。
  2. ^ “【この人にきく】華熊営造・田代静夫さん”. 2020年6月23日閲覧。
阪急ブレーブス - 1966年ドラフト指名選手
第1次ドラフト
  • 1位:水谷孝
  • 2位:流敏明
  • 3位:斎藤芳明
  • 4位:保谷俊夫
  • 5位:田代静夫(入団拒否)
  • 6位:斎場巳司(入団拒否)
  • 7位:村上修(入団拒否)
  • 8位:清宮高(入団拒否)
第2次ドラフト
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