湖西窯跡群

湖西窯跡群
湖西窯の須恵器(愛知県陶磁美術館蔵・2018年8月12日)
地図
種類窯跡
所在地静岡県湖西市吉美・笠子ほか

湖西窯跡群(こさいようせきぐん/こさいかまあとぐん)は、静岡県西部、浜名湖西岸の湖西市域を中心に分布する、古墳時代後半から奈良時代にかけての須恵器窯跡群、および中世陶器の窯跡群である。7世紀から8世紀代に窯操業の最盛期を迎え、東日本を中心に須恵器の一大流通圏を形成した。

座標: 北緯34度41分37.8秒 東経137度32分03.5秒 / 北緯34.693833度 東経137.534306度 / 34.693833; 137.534306

湖西窯跡群の位置(静岡県内)
湖西窯跡群
湖西窯跡群
窯のある湖西丘陵の位置
湖西窯のフラスコ瓶(愛知県陶磁美術館蔵・2018年8月12日)

概要

地形と立地

湖西窯跡群は、湖西市域の南部に位置し、天伯原台地の一角で、遠州灘に面した丘陵地帯(湖西丘陵)に主に分布する。分布域は、西に隣接する愛知県豊橋市域や、旧新居町域にも及び、その数は1000基を数えるとされる[1]。湖西丘陵は、南側では海食崖が発達し、遠州灘に沿うように急峻な斜面が続くが、北側は笠子川や坊瀬川、一ノ宮川、古見川などの浜名湖に注ぐ複数の小中河川が丘陵を著しく開析し、複雑な谷戸地形を形成している。これらの谷地斜面と湧水、産出される良質な粘土(湖西黄土・湖西土)[2]を利用して、古墳時代後半(5世紀末)に窖窯による須恵器生産が開始された。

歴史

古代須恵器窯

湖西窯で初めて須恵器の焼成・生産が開始されたのは、5世紀末、湖西市吉美の明通り(あけどおり)窯跡とされている[3][4]。続く6世紀代には、湖西市域以外にも、豊橋市や、静岡県浜松市磐田市袋井市掛川市などで地点的小規模な須恵器窯が出現し、それぞれに特徴のある須恵器を生産したが[4]、6世紀末から7世紀に入るころから湖西での窯数が増え始め、静岡県内に流通する湖西産須恵器のシェアも増加し、7世紀から8世紀にかけて操業のピークを迎えた[4]。各窯では蓋坏や碗のほか、高坏、はそう、横瓶、平瓶、さらに東海地域の須恵器窯(猿投窯など)に特徴的な丸底の「フラスコ瓶」などの長頸瓶や長頸壺を産出した[5]。これらの製品は静岡県内を始め、関東・東北地方の太平洋側の遺跡から出土しており、最北端は青森県八戸市に達し、東日本に広く流通した[6]。出土量の多い関東地方では古墳横穴墓編年研究に利用されている。また西日本でも奈良県大阪府にまで伝播した[7]。古墳や横穴墓の副葬品として、関東地方では丸底のフラスコ瓶が卓越するのに対し、東北地方では高台を持つ長頸瓶が優位になる傾向が示されている[8]。これらの須恵器窯生産を主導したのは、神(ミワ)氏であったと考えられている[9]

中世湖西窯

平安時代に入る9世紀には、他の東海地方の須恵器窯のように灰釉陶器の生産に移行することなく[10]、西隣の豊橋市二川窯の出現と入れ替わるように衰退するが[注 1][11]12世紀頃に山茶碗などを生産する中世陶器窯として復活し[6]、碗皿類、壺類のほか、京都府仁和寺円堂院のや、陶製五輪塔の生産などを行った。中世湖西窯は渥美半島渥美窯愛知県田原市域を主体とする)と同時期に出現し、窯構造や生産器種などに多くの類似点を持つことから、共通の基盤のもとに成立したと考えられている[12]。なお、渥美窯と中世湖西窯製品の胎土は、同じ天伯原台地粘土を使用しているため、両窯の峻別が極めて難しく、破片で出土することの多い遠隔消費地の遺跡では「渥美・湖西窯産」とされるか、一括して「渥美窯産」とされている場合が多いという[13][11][14]

その後鎌倉時代13世紀には日常雑器(山茶碗)主体の生産にシフトしつつ存続するが、14世紀初頭には廃絶した[6]

文化財

久安2年(1146年)銘陶製五輪塔(愛知県陶磁美術館蔵・2018年8月12日)

脚注

[脚注の使い方]
注釈
  1. ^ 湖西市岡崎の小俣坂古窯跡でのみ灰釉陶器生産が確認されており、まったく生産しなかったわけではない。
出典
  1. ^ 『モノづくりの原点・湖西窯跡群』(湖西市教育委員会パンプレット)
  2. ^ 『湖西焼』湖西市商工会HP
  3. ^ 後藤2001 pp.118
  4. ^ a b c 鈴木2001 pp.142
  5. ^ 後藤 2015 pp.6
  6. ^ a b c 湖西市教育委員会パンプレット
  7. ^ 高橋 2009 pp.75
  8. ^ 高橋 2011 pp.51
  9. ^ 後藤 2019 pp.84-85
  10. ^ 後藤 2015 pp.7
  11. ^ a b 鈴木 2013
  12. ^ 安井 2013 pp.2
  13. ^ 安井 2013 pp.12
  14. ^ 佐藤・平原・三浦 2014 pp.96
  15. ^ 『陶製五輪塔 (国有形(工芸))』愛知県瀬戸市HP

参考文献

  • 湖西市教育委員会・湖西窯跡研究会『モノづくりの原点・湖西窯跡群(湖西市教育委員会パンフレット)』湖西市
  • 鈴木敏則 2001「湖西窯古墳時代須恵器編年の再構築」『須恵器生産の出現から消滅-猿投窯・湖西窯編年の再構築-』第5分冊(補遺・論考編)東海土器研究会 pp.141~170
  • 後藤健一 2001「湖西」『土師器と須恵器』雄山閣 pp.118~120
  • 高橋透「東日本太平洋沿岸地域出土須恵器フラスコ瓶の編年--湖西産を中心に」『考古学集刊』第5号、明治大学文学部考古学研究室、2009年5月、75-97頁、ISSN 18814476、NAID 40016727364。 
  • 高橋透「7世紀の東日本における湖西産須恵器瓶類の流通」『駿台史學』第143号、駿台史学会、2011年8月、51-77頁、ISSN 05625955、NAID 40018975960。 
  • 安井俊則「渥美窯の展開 (特集 第25回 日本福祉大学知多半島総合研究所歴史・民俗部研究集会 シンポジウム「中世渥美・常滑焼をおって」報告)」『知多半島の歴史と現在』第17号、日本福祉大学知多半島総合研究所、2013年10月、1-12頁、ISSN 0915-4833、NAID 120005724539。 
  • 鈴木敏則「湖西窯における灰釉陶器と山茶碗生産 : 小俣坂古窯出土品から」『三河考古』第23号、三河考古刊行会、2013年5月、73-104頁、NAID 40020524596。 
  • 佐藤由紀男, 平原英俊, 三浦一樹「渥美湖西窯と常滑窯製品の蛍光X線分析」『岩手大学「平泉文化研究センター年報」』第2巻、岩手大学平泉文化研究センター、2014年、95-119頁、doi:10.15113/00008896、ISSN 2187-7904、NAID 120005435456。 
  • 後藤健一 2015『遠江湖西窯跡群の研究』六一書房
  • 後藤健一 2019「(2)湖西窯跡群と猿投窯跡群の生産と流通」『日本考古学協会第85回総会研究発表要旨』pp.84-85 日本考古学協会

関連項目

外部リンク

  • 『湖西焼』(湖西市商工会公式HP)
  • 『KF:湖西窯跡研究会のページ』(湖西窯跡研究会HP)
諸分野
関連分野
研究方法
考古資料
遺跡の保護と活用
カテゴリ カテゴリ