横谷宗珉

横谷 宗珉(よこや そうみん、寛文10年(1670年)- 享保18年8月6日(1733年9月13日))は、江戸時代中期の装剣金工家である。通称は長二郎後に治兵衛。幼名は宗知。

経歴・人物

京都にて生まれる。後藤殷乗の弟子である横谷宗与の実子ないしは養子とも言う[1]。その後江戸に移り、後藤派の幕府御彫物役として「家彫り」を学んだ。

しかし、元禄3年(1690年)頃に後藤派の因襲にとらわれ独立し、宗珉と改名する。独立後は自由な題材や材質、構図といった新しい作風を展開し「町彫り」を創始して当時の金工家に一世を風靡した。作品には小柄、目貫、縁頭等多岐に渡る。同技法以外にも狩野探幽狩野安信英一蝶等の作品の下絵を題材として「片切彫り」も創始した。門下に実子の二代目横谷宗与、横谷英精、柳川直政、大森英昌、古川元珍等がいた。[要出典]

代表作に『赤銅牡丹獅子揃物』『二王二所物』等がある。[要出典]

脚注

  1. ^ 松崎慊堂『慊堂日暦1』平凡社、1972年、56頁。 

出典