明聖王后

明聖王后
朝鮮王妃
在位 順治16年5月9日 - 康熙13年8月22日
1659年6月28日 - 1674年9月21日

別称 顕烈禧仁貞献文徳明聖王后(諡号)
出生 崇徳7年5月17日
1642年6月14日
死去 康熙22年12月5日
1684年1月21日
埋葬 崇陵
配偶者 顕宗
子女 粛宗、他
氏族 清風金氏
父親 金佑明
母親 恩津宋氏
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明聖王后
各種表記
ハングル 명성왕후
漢字 明聖王后
発音: ミョンソンワンフ
日本語読み: めいせいおうこう
ローマ字 Queen Myeongseong
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明聖王后 金氏(めいせいおうこう きんし、ミョンソンワンフ キムシ、1642年6月14日 - 1684年1月21日)は、李氏朝鮮の国王顕宗の王妃で粛宗の母。諡号・徽号等は顕烈禧仁貞献文徳明聖王后。本貫は清風金氏。

1651年、世子嬪に、1659年、王妃になり、1674年顕宗が亡くなると王大妃 となった。年若い粛宗が王になると朝廷の事に深く干渉しようとして西人側についた。知能が高く、性格が過激で、宮殿内の事柄を処理する際には感情的で荒っぽい面を見せたと言われる。特に1675年の「紅袖之変」では大臣たちの前で泣き叫ぶなどみっともない姿を晒した。死後は、顕宗と共に京畿道九里市の崇陵に葬られた。

世子嬪から王妃となり、自身の息子が王位に就き、大妃になったのは明聖王后金氏ただ一人である。彼女は、自身が嫌っていた女官であった禧嬪張氏(後の粛宗の後宮)を宮廷から追放したこともあった。

家族

  • 高祖父:金棐
  • 養曾祖父:金興禄
  • 実曾祖父:金興宇
  • 養祖父:金址
  • 実祖父:金堉
  • 伯父:金佐明(1616年1671年)- 金堉の子
  • 父:金佑明(領議政 清風府院君 忠翼公、1619年1675年
  • 母:徳恩府夫人 恩津宋氏1621年1660年)- 礼曹参議贈左賛成 孝貞公 宋国沢の娘
  • 従兄:金錫冑(1634年1684年)- 金佐明の子
  • 弟:金錫衍(1648年1723年)- 玄孫に当たる第22代国王正祖の正妃孝懿王后の高祖父
  • 夫:第18代国王 顕宗
  • 子:第19代国王 粛宗
    • 孫:第20代国王 景宗
    • 孫:第21代国王 英祖
  • 娘:明善公主(1660年1673年
  • 娘:明恵公主(1665年1673年
  • 娘:明安公主1667年1687年)- 名は温姫。海昌尉 文孝公 呉泰周に降嫁
  • 娘:名前なし(1658年 同年に死去)

明聖王后が登場する作品

参考文献

  • 朝鮮王朝実録【改訂版】朴永圭 著、神田聡・尹淑姫 訳、キネマ旬報、2012年3月14日
先代
仁宣王后
朝鮮王妃
在位:1659年 - 1674年
次代
仁敬王后
先代
仁宣王后
朝鮮大妃
在位:1674年 - 1684年
次代
仁元王后
太極旗朝鮮王妃朝鮮国章
朝鮮
王妃
追尊王后
大韓帝国
皇后
追尊皇后
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