岡村光芳

岡村 光芳(おかむら みつよし、1946年9月25日 - )とは、元アナウンサー、島根県松江市出身である。

概説

  • アナウンサー時代、特にスポーツアナウンサーとして、プロ野球・ラグビー・アメリカンフットボール・バレーボール・バスケットボールなど、計22競技、2000本以上の実況中継や各種司会・キャスター等を歴任。
  • 上記のうち、野球はプロ・社会人・大学・高校・少年で総計1200本(内、プロは400本)、ラグビーは社会人・大学・高校・及び国際試合で総計400本(1980年代のアメリカのローズボウル・オレンジボウル、ラグビーで本場の英国取材を行い現地の熱狂を生で伝える、1996年と1998年の関東学院大学の英国遠征に同行など、海外取材多数)。
  • 局アナとして所属した3局とも開局直前後の入社である。
  • 辻豊人とともに1970年代のtvkを代表するアナウンサーである。
  • 趣味はブーメラン(日本ブーメラン協会副会長を務めていた)、柔道等 スポーツ。犬好き。
  • 家族構成は、妻と男児二人+1匹 。
  • 尊敬する人は、日蓮聖人、石橋湛山 (自身が通っていた当時の立正大学学長)。
  • 座右の銘は、平常にして不動。
  • 前妻の岡村静子(株式会社グレートディッパー会長)も元広島ホームテレビアナウンサー。

経歴

  • 1946年9月25日 島根県松江市出身
  • 1965年3月 島根県立松江南高等学校卒業
  • 1969年3月 立正大学文学部地理学科卒業
  • 1969年4月 石川テレビ放送入社 
  • 1970年10月 広島ホームテレビ移籍 
  • 1972年7月 テレビ神奈川(tvk)移籍
  • 1984年時点 tvk報道制作局アナウンス部次長
  • 1985年 tvk採用面接官
  • 1992年8月 tvk報道制作局アナウンス部長
  • 1995年4月 国士舘大学講師(スポーツジャーナリズム論、スポーツマスコミュニケーション論、スポーツ文化論)
  • 横浜アナウンス学院(現在は廃校)の講師を10年
  • 1997年6月 tvkを依頼退社し、株式会社国際プランニング[1]代表取締役社長
  • 2000年10月 「マカ・インターナショナル株式会社」に社名変更
  • 社会福祉法人ちとせ会理事
  • 1999年4月 東洋大学講師(ジャーナリズム実践論)
  • 2001年7月29日 第19回参議院議員通常選挙に自由党から比例代表で出馬するも落選。その後、公職選挙法の未成年者使用と、現金買収の疑いで逮捕
  • 2001年10月24日 上記の件で、懲役10ヶ月、執行猶予5年
  • 2013年2月 メールマガジン「あなたもアナウンサーになれる~採用側から見た合格のコツ~」配信

過去の担当番組

tvk

著書

  • 「春口ラグビーが魅せる大学の新しい風」(1998年・東京精文館)

外部リンク

  • https://ameblo.jp/mituyosiokamura/
  • http://www1.biz.biglobe.ne.jp/~okamura/
    • 参院選に立候補した時のページ、小沢一郎(当時・自由党代表)と握手している写真がある。
  • http://www.great-dipper.com/
    • かつての横浜アナウンス学院の後進。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ ラグビー番組を中心としたスポーツ番組の制作。企業、大学等のVP、CM、広告、企画、宣伝、等のほか、映画製作、イベントプロデュースや、東京を中心の食品の製造、完売店舗の運営、貿易、など幅広い事業を展開。
テレビ神奈川アナウンス部長

植田廉之助[1]1972-1981 / 辻豊人1981-1985 / 中山和夫1985-1990[2] / 田代昌史1990-1992.7[3] / 岡村光芳1992.8-1997.6 / 森田浩康1997.7-2008 / 吉井祥博2008-現在

備考
  1. ^ 神奈川新聞社出身。アナウンス統括時代の役職は報道制作局報道部長。後に取締役。
  2. ^ 1927年9月、山梨県生まれ。東京大学文学部卒業後、1954年に読売新聞社入社。地方部次長やラジオ・テレビ推進本部を経験。同部次長時代の同部長に片柳英司(後に常務取締役、長崎国際テレビ代表取締役社長)、中山と同職に内山斉(後に読売新聞グループ本社代表取締役社長)等がいた。アナウンス統括時代の役職は取締役報道制作局長・アナウンス部長。
  3. ^ 神奈川新聞社出身。アナウンス統括時代の役職は報道制作局長・アナウンス部長。
  • 表示
  • 編集
典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般
  • ISNI
  • VIAF
国立図書館
  • 日本