小島徹三

小島 徹三
こじま てつぞう
1960年頃に撮影
生年月日 1899年9月29日
出生地 兵庫県
没年月日 (1988-01-10) 1988年1月10日(88歳没)
出身校 東京帝国大学法学部
前職 弁護士
所属政党 (日本自由党→)
(民主党→)
改進党→)
日本民主党 →)
(自由民主党)
称号 勲一等旭日大綬章

日本の旗 第14代 法務大臣
内閣 第1次池田内閣
在任期間 1960年7月19日 - 1960年12月5日

選挙区 (兵庫2区→)
(兵庫5区)
当選回数 10回
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小島 徹三(こじま てつぞう、1899年9月29日 - 1988年1月10日)は、弁護士日本政治家法務大臣。帝国弁護士会理事、第一東京弁護士会常議員。位階正三位

自由党衆議院議員(1946年から10期)。日本自由党では政務調査会理事、司法部部長、民主党では総務委員、政務調査会理事、議員運営部部会長を務めた。自民党では芦田均派→岸信介派→福田赳夫派に所属した。

来歴・人物

兵庫県養父郡八鹿町(現・養父市)出身。造り酒屋の小島久右衛門の三男として生まれる。八鹿小、豊岡中、第一高等学校、東京帝国大学法学部仏法科卒業[1]

1922年高等文官試験外交科及び行政科に合格。その後弁護士を開業。

1946年第22回衆議院議員総選挙に兵庫2区から初当選[注釈 1]。以後10期務める。

1953年衆議院厚生委員長。1954年第1次鳩山一郎内閣郵政政務次官保守合同後もしばらく有田喜一志賀健次郎荒木万寿夫らとともに「芦田派」を維持。1958年、衆議院法務委員長。1960年第1次池田内閣法務大臣

1969年勲一等瑞宝章を受章する。1976年旭日大綬章を受章する。1976年引退。

1988年1月10日、死去。享年88。叙正三位

その他

  • 株式会社山口自動車工業監査役[2]
  • 司法省の嘱託として中華民国の法制観察をした[2]
  • 法務大臣在任中に15人の死刑囚に死刑執行命令に署名した。
  • 実直、誠実な性格で“但馬牛のような人”と評されていた[3]
  • 八鹿町初の名誉町民[4][5]で、養父市役所の庭に胸像が建てられている[4]

脚注

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註釈
出典
  1. ^ 足立勝美. “【日本人の座標軸(39)】「憲法改正」に情熱燃やし…但馬人気質を受け継いだ政治家は、田中角栄氏の対極(1/3ページ)”. 産経WEST. 産経デジタル. 2020年2月16日閲覧。
  2. ^ a b 衆議院事務局 1948.
  3. ^ 足立勝美 (2015年4月11日). “【日本人の座標軸(39)】「憲法改正」に情熱燃やし…但馬人気質を受け継いだ政治家は、田中角栄氏の対極(2/3ページ)”. 産経WEST. 産経デジタル. 2020年8月25日閲覧。
  4. ^ a b 足立勝美 (2015年4月11日). “【日本人の座標軸(39)】「憲法改正」に情熱燃やし…但馬人気質を受け継いだ政治家は、田中角栄氏の対極(3/3ページ)”. 産経WEST. 産経デジタル. 2020年8月25日閲覧。
  5. ^ “八鹿町のうつりかわり” (PDF). 兵庫県教育委員会. p. 94. 2020年8月25日閲覧。

参考文献

公職
先代
井野碩哉
日本の旗 法務大臣
第14代:1960年
次代
植木庚子郎
議会
先代
町村金五
日本の旗 衆議院法務委員長
1958年 - 1959年
次代
瀬戸山三男
先代
平野三郎
日本の旗 衆議院厚生委員長
1953年 - 1954年
次代
田中好
日本の旗 法務大臣 (1960年)
法務総裁
法務大臣
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