土倉一成

土倉 一成(とくら かずなり、慶長17年(1612年) - 貞享5年5月7日(1688年6月4日))は、備前岡山藩家老

父は岡山藩家老土倉勝看。母は村上周防守の娘。正室は鵜殿大隅の娘。子は一長。通称は淡路。

慶長17年(1612年)、池田家家老土倉勝看の子として生まれる。寛永4年(1627年)、因幡鳥取藩主であった池田光政に仕え、知行1000石を賜る。寛永9年(1632年)、光政の岡山転封に伴って、備前磐梨郡佐伯に移る。寛永14年(1637年)、父勝看の死去により家督相続し、岡山藩家老、佐伯1万1000石の領主となる。明暦3年(1657年)、藩主世子綱政の屋形(岡山城西丸)建設のために屋敷を移転した。天和2年(1682年)、隠居して一長に家督を譲る。貞享5年5月7日没。

参考文献

  • 『池田老臣累記』
  • 『備前家老略伝』

勝看 - 一成 - 一長 - 一涂 - 一貞 - 一信 - 一之 - 一静 - 一善 - 一昌 - 一善 - 正彦 - 一昌 - 鉚太郎 - 万亀 - 光三郎 - 一郎

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