園山勇

園山勇

園山 勇(そのやま いさむ、嘉永元年3月3日(1848年4月6日) - 大正10年(1921年8月14日[1])は、日本の衆議院議員(自由党→憲政党立憲政友会)、長野県知事宮崎県知事。

経歴

松江藩出身。儒臣の園山家を継ぎ、18歳で江戸に出て、安井息軒の門下に入った。帰郷後、松江藩校修道館で皇漢学の助教を命じられた[2]

1874年明治7年)、板垣退助後藤象二郎らが民撰議院設立建白書を提出すると、これに呼応して自由民権運動に参加した。島根県の製糸業の先覚者とされ、1886年(明治19年)、長野県で機械製糸の状況を視察し、1887年(明治20年)、島根蚕業社を設立した[3]

島根県会議員を経て、1894年(明治27年)の第3回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第4回第5回総選挙でも再選された。

1898年(明治31年)7月、第1次大隈内閣のもとで長野県知事に就任。教育、森林行政などに尽力[3]。翌年8月、宮崎県知事に転じた。郡制施行について尽力[4]1902年(明治35年)2月、知事を休職となった[5]。政党に関係していることが理由であったという[2]。同年の第7回衆議院議員総選挙に当選し、議会に復帰した。その後、第10回衆議院議員総選挙でも再選された。

親族

  • 新保寅次 - 二女の夫[6]。山口高等学校校長・松本高等学校校長・広島高等学校校長。

脚注

  1. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』349頁。
  2. ^ a b 『新選代議士列伝』
  3. ^ a b 『新編日本の歴代知事』520頁。
  4. ^ 『新編日本の歴代知事』1081頁。
  5. ^ 『官報』第5578号、明治35年2月10日。
  6. ^ 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第5版』帝国秘密探偵社、1932年、シ之部93ページ。

参考文献

  • 『新選代議士列伝』金港堂、1902年。 
  • 『衆議院要覧 明治四十二年九月改訂』衆議院事務局、1909年。 
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
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