古川 済堯(ふるかわ なるたか/なりたか)は、戦国時代の公家・大名。従五位下・侍従。姉小路家当主。
概要
かつて飛騨国の姉小路家は、三木氏に簒奪されて滅亡したとされてきた。しかし、近年発見された永禄6年(1563年)の『補略』によると、天文23年(1554年)9月には、古川家の済堯が従五位下・侍従に叙任されていることが確認されている[2]。
脚注
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注釈
出典
- ^ 赤坂恒明「永禄六年の『補略』について : 戦国期の所謂「公家大名(在国公家領主)」に関する記載を中心に」『埼玉学園大学紀要. 人間学部篇』第11巻、埼玉学園大学、2011年12月、326(43)-311(58)、CRID 1050282812975072256、ISSN 13470515。
- ^ 赤坂恒明「永禄六年の『補略』について : 戦国期の所謂「公家大名(在国公家領主)」に関する記載を中心に」『埼玉学園大学紀要. 人間学部篇』第11巻、埼玉学園大学、2011年12月、326(43)-311(58)、CRID 1050282812975072256、ISSN 13470515。