リニーの戦い

リニーの戦い

テオドール・ユング『リニーの戦い』
戦争ナポレオン戦争
年月日1815年6月16日
場所ベルギー中部のリニー
結果:フランス軍の勝利
交戦勢力
フランスの旗 フランス帝国 プロイセン王国の旗 プロイセン王国
指導者・指揮官
フランスの旗 ナポレオン・ボナパルト ゲプハルト・レベレヒト・フォン・ブリュッヘル
戦力
フランス軍 68,000[1] プロイセン軍 84,000[1]
損害
死傷者 8,000-12,000[2] 死傷者 12,000
脱走者 8,000
野砲 27門
  • 表示

リニーの戦い (リニーのたたかい、Bataille de LignySchlacht bei Ligny )は、1815年6月16日ベルギー中部の村リニー付近で行われた戦い。フランス皇帝ナポレオン1世率いるフランス軍が、ブリュッヘル率いるプロイセン軍を破った。ナポレオン最後の戦いとなったワーテルローの戦いの前哨戦のひとつであり、ナポレオンが最後の勝利を飾った戦いでもある。

概要

1815年2月、エルバ島で監視下に置かれていたナポレオンは島を脱出し、翌3月、パリに帰還、フランス皇帝に復位した。ナポレオンの再挙を知った列国は第七次対仏大同盟を結成し、フランス国境に大兵力を集結させた。ベルギー方面にはイギリスオランダ連合軍とプロイセン軍、その南には別のプロイセン軍を主力とした北ドイツ軍団、ライン正面にはオーストリア軍を主力としたライン方面軍、北イタリア方面にはオーストリア軍がそれぞれ展開し、さらにライン正面に向けてロシア軍が東から接近しつつあった。同盟側の作戦行動にはまだ時間がかかると判断したナポレオンは、同盟軍の機先を制することとした。6月11日、ベルギー方面にいるウェリントンのイギリス・オランダ連合軍とブリュッヘルのプロイセン軍を最初に撃破すべく、ナポレオンは12万人の兵を率いてパリを出撃した。

6月14日、フランス軍はブリュッセルの南30キロメートルのシャルルロワ付近に集結した。シャルルロワはイギリス・オランダ連合軍とプロイセン軍の中間に位置し、どちらにも対応できる地であった。ナポレオンは、両軍が合流する前に各個撃破を狙った。ナポレオンは、フランス軍左翼を率いるネイに対して、北上して要地カトル・ブラの十字路をすみやかに確保するとともに、確保後の状況に応じ、東に旋回してプロイセン軍の側背を突くように命じた。ナポレオン自身は北東方面にいるプロイセン軍攻撃に向かった。6月16日、ナポレオンはリニー付近でプロイセン軍と戦闘になり、午後までに敵軍を動揺させることに成功した。ナポレオンは、カトル・ブラを確保しているはずのネイにプロイセン軍の側背を攻撃するように命じた。しかし、イギリス・オランダ連合軍に苦戦していたネイは、いまだカトル・ブラを確保できないでいた(カトル・ブラの戦い)。結局、ネイはリニーの戦場には間に合わず、ナポレオンはプロイセン軍を撃滅する決定機を逸してしまった[注 1]。夜になると、ナポレオンの猛攻に耐えきれなくなったプロイセン軍は北方に向けて退却した。戦闘でブリュッヘルが負傷し、参謀長のアウグスト・フォン・グナイゼナウが代わりに指揮を執っていた。プロイセン軍は中央部が崩されたものの、両翼は健在だった。ナポレオンはグルーシーに命じプロイセン軍を追撃させるとともに、自身はネイと合流した。リュッツォウ義勇部隊を指揮するリュッツォウ中佐は、1個騎兵旅団を率い、リニーの戦いに参戦したが、重傷を負い、フランス軍の捕虜となった。

プロイセン軍の敗戦を知ったウェリントンはカトル・ブラを放棄して北方に兵を退き、ワーテルローに防御陣地を敷いた。退却したプロイセン軍は、リニーの北20キロメートルのワーヴルで態勢を整えた。このプロイセン軍は、6月18日ワーテルローの決戦において、ナポレオンの敗北に決定的な役割を果たすことになる。

経緯

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 軍事評論家松村劭は「ネー軍が適時に駆けつけていたらブリュッヘル軍は潰滅していたであろう。そしてナポレオンはカートル・ブラのウェリントンに襲い掛かり蹂躙していたであろう。それはまことに重要な歴史の「もし」の数時間であった。」と述べている。 松村劭 『ナポレオン戦争全史』 原書房、2006年、p.198.

出典

  1. ^ a b Alain Pigeard Dictionnaire des batailles de Napoléon Tallandier, Bibliothèque Napoléonienne, 2004年, p.475.
  2. ^ Blücher, the scourge of Napoleon, Michael Leggiere.

参考文献

日本語文献

  • 松村劭 『ナポレオン戦争全史』 原書房、2006年(平成18年)、ISBN 4-562-03953-1

日本語以外の文献

  • Alain Pigeard, Dictionnaire des batailles de Napoléon, Tallandier, Bibliothèque Napoléonienne, 2004年, ISBN 2-84734-073-4
  • Charles C. Chesney, Waterloo Lectures: A Study Of The Campaign Of 1815, Longmans, Green, and Co., 1907年, ISBN 1-4286-4988-3
  • David G. Chandler, Campaigns of Napoleon, Scribner, 1973年, ISBN 0-02-523660-1
  • E. Longford, Wellington the Years of the Sword, Panther, 1971年
  • Peter Hofschröer, 1815, The Waterloo Campaign: The German Victory, London: Greenhill Books, 1999年, ISBN 1-85367-368-4

関連項目

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、リニーの戦いに関連するカテゴリがあります。
  • Battle of Ligny ,16 June 1815 (リニーの戦いの詳細解説。英語)
戦役
イタリア戦役
エジプト・シリア戦役
第二次イタリア戦役
1805年オーストリア戦役
ドイツ・ポーランド戦役
半島戦争
1809年オーストリア戦役
ロシア戦役
ドイツ・フランス戦役
1815年フランス戦役
関連戦争
外交
関係諸国
フランス側同盟国
時期により変化した国
対仏大同盟諸国
スタブアイコン

この項目は、戦争に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:戦争/PJ軍事史)。

  • 表示
  • 編集
スタブアイコン

この項目は、歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:歴史/P:歴史学/PJ歴史)。

  • 表示
  • 編集
典拠管理データベース: 国立図書館 ウィキデータを編集
  • イスラエル
  • アメリカ
  • チェコ