フォンテーヌブロー条約

フォンテーヌブロー条約(フォンテーヌブローじょうやく)は、フランスフォンテーヌブローで(しばしばフォンテーヌブロー宮殿において)署名調印された条約。以下が存在する。  

  • フォンテーヌブロー条約 (1611年) - スペインのアストゥリアス公フェリペ(後のスペイン王フェリペ4世)とフランス王ルイ13世の妹エリザベートの政略結婚を定めた条約。
  • フォンテーヌブロー条約 (1631年) - 1631年5月30日、バイエルン選帝侯マクシミリアン1世とフランス王国の間に結ばれた条約。三十年戦争におけるカトリック国家間の秘密同盟を樹立した。
  • フォンテーヌブロー条約 (1661年) - フランス・スウェーデン間の条約。ポーランド王位の獲得をめざすフランスを支援する見返りとして、スウェーデンはフランスから資金援助を得た。
  • フォンテーヌブロー条約 (1679年) - 1679年8月23日、フランスの圧力により、スコーネ戦争中のデンマーク=ノルウェースウェーデンの間で結ばれた講和条約。
  • フォンテーヌブロー条約 (1743年) - 1743年10月25日、フランスとスペインのブルボン家同士で結ばれた第2次ファミーユ条約
  • フォンテーヌブロー条約 (1745年) - 1745年10月24日、フランス王ルイ15世とイギリス王位請求者チャールズ・エドワード・ステュアートの間で結ばれた軍事同盟。
  • フォンテーヌブロー条約 (1762年) - 1763年のパリ条約に先行し、フランスが植民地ルイジアナをスペインに割譲することを定めた秘密協定。1762年11月13日に締結、1764年4月に暴露。
  • フォンテーヌブロー条約 (1785年) - 1785年11月8日、オランダ共和国皇帝ヨーゼフ2世の間で結ばれたスヘルデ川河口に関する条約。
  • フォンテーヌブロー条約 (1807年) - 1807年10月27日、スペインとフランスの間で結ばれた条約。ポルトガルの占領と領土分割を定めた。
  • フォンテーヌブロー条約 (1814年) - 1814年4月11日、フランスと対仏同盟国の間で結ばれた講和条約。ナポレオン・ボナパルトのエルバ島追放を定めた。

関連項目

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