ネルー・ガーンディー・ファミリー

1927年頃の家族写真。前列の中央がモティラル(英語版)、右がカマラ(英語版)。後列の一番左より右から2番目にかけてジャワハルラルヴィジャヤ(英語版)クリシュナ(英語版)インディラ
1949年1月13日撮影。ジャワハルラル、インディラ、ラジヴサンジャイ
1961年撮影。インディラとジャワハルラル
アラハバードにある一族の先祖代々の生家、「アナンダ・バーヴァン(英語版)

ネルー・ガンディー・ファミリーは、主にインド国民会議(INC)を担ってきたインドの著名な政治家の家系である。

概要

1947年のイギリス支配からの独立以降の最初の65年のうち、合わせて約37年間にわたって首相を務めてきた[1]ザ・ガーディアン紙は同じく悲劇に彩られたケネディ家と対比し、「ネルー・ガンディーのブランドは世界で他に類を見ないほどである」と評した[2]

ジャワハルラル・ネルーの娘、インディラ・ネルーはフィローズ・ガンディーマハトマ・ガンディーとは血縁関係は無い)と結婚した後に、インディラ・ガンディーと名前を変更した[3]

家系

第一世代

第二世代

  • ナンドラル・ネルー(英語版) (1845–1887) - ガンガダルの次男でモティラルの兄[7]ラージプータナーケトリ(英語版)に位置する藩王国で1862年からディーワーンを務めたが、1870年に辞任した[8]。ケトリを去った後に法律を勉強して弁護士になった[9]
  • モティラル・ネルー(英語版) (1861–1931) - ガンガダルの末子で父の死から3ヵ月後の1861年5月に出生した[5][6]。著名な弁護士かつインド国民会議(INC)議長(インド国民会議議長の一覧(英語版))を二度務めたインド独立運動の代表的な指導者だった[6]

第三世代

  • ブリジラル・ネルー(英語版) (1884–1964) - ナンドラルの息子で、ハリ・シン(英語版)が統治していた時期にジャンムー・カシミール藩王国の財務大臣を務めた[10]
  • ラメシュワリ・ネルー(英語版) (1886–1966) - ブリジラルの妻で、女性の権利向上を目的とした全インド女性会議(英語版)(AIWC)の共同設立者の一人だった[11]
  • ジャワハルラル・ネルー (1889–1964) - モティラルの息子で[6]、1930-40年代のインド独立運動における最も代表的な指導者の一人だった[12]1947年8月15日に独立したインドの初代首相に就任し、亡くなる1964年5月27日まで務めた[12]
  • カマラ・ネルー(英語版) (1899–1936) - ジャワハルラルの妻(インディラの母)で、自由を求める闘争に参加して二度逮捕された[13]。長い間結核に苦しみ、1936年2月28日に若くして亡くなった[13]
  • ヴィジャヤ・ラクシュミ・パンディット(英語版) (1900–1990) - ジャワハルラルの妹(モティラルの長女)で、インド独立運動に参加して三度投獄され、独立後は外交官として国際連合総会議長などを務めた[14]
  • クリシュナ・フーシーシン(英語版) (1907–1967) - ジャワハルラルとヴィジャヤの妹で[15]作家の道に進んだ[16]

第四世代

  • ブラジ・クマール・ネルー(英語版) (1909–2001) - ブリジラルとラメシュワリの息子で、駐米インド大使(英語版)ジャンムー・カシミール州知事、トリプラ州知事などを歴任した[17]
  • フィローズ・ガンディー (1912–1960) - 1942年3月26日にインディラと結婚した[18]ローク・サバー(下院議会)議員として義父の政権の汚職も批判し、最も人気ある議員の一人だった[18]
  • インディラ・ガンディー (1917–1984) - ジャワハルラルとカマラの一人娘で、1966年1月19日に首相に選出された[19]1984年10月31日に2人のシク教徒の警護隊員によって暗殺された⇒(インディラ・ガンディー暗殺事件(英語版)[20]
  • ナヤンタラ・サーガル(英語版) (1927–) - ヴィジャヤの娘で、1985年に執筆した小説『リッチ・ライク・アス(英語版)』が評価されて翌1986年にサーヒトヤ・アカデミー賞(英語版)を受賞した[21]

第五世代

第六世代

  • ロバート・ヴァドラ(英語版) (1969–) - プリヤンカの夫で著名な実業家であるが、違法な土地取引の嫌疑に直面している[29]
  • ラフル・ガンディー (1970–) - ラジヴとソニアの長男で[1][30]、現在は国民会議副総裁を務めている[31]
  • プリヤンカ・ヴァドラ (1972–) - ラジヴとソニアの長女で、「インディラの再来」とも言われて兄のラフルを上回る人気を誇り、政界入りが熱望されている[32]
  • ヴァルン・ガンディー (1980–) - サンジャイとメーナカーの息子で、父親の事故死の後に出生した[33]。33歳の若さで人民党の書記に就任した[34]

肖像写真

  • モティラル (第二世代)
    モティラル
    (第二世代)
  • ジャワハルラル (第三世代)
    ジャワハルラル
    (第三世代)
  • ヴィジャヤ (第三世代)
    ヴィジャヤ
    (第三世代)
  • カマラ (第三世代)
    カマラ
    (第三世代)
  • インディラ (第四世代)
    インディラ
    (第四世代)
  • ラジヴ (第五世代)
    ラジヴ
    (第五世代)
  • ソニア (第五世代)
    ソニア
    (第五世代)
  • メーナカー (第五世代)
    メーナカー
    (第五世代)

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b 山田剛 (2012年12月28日). “山田剛のINSIDE INDIA”. JCER.or.jp. 2015年1月12日閲覧。
  2. ^ “The making of the Gandhi dynasty” (英語). Theguardian.com (2007年5月9日). 2015年1月12日閲覧。
  3. ^ Lyon(2008年) p.64
  4. ^ “History of Delhi Police” (英語). Delhipolice.nic.in. 2015年1月12日閲覧。
  5. ^ a b Rau(1967年) p.7
  6. ^ a b c d “Pandit Motilal Nehru (1861-1931), President- Amritsar, 1919; Calcutta, 1928” (英語). Congresssandesh.com. 2009年12月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月12日閲覧。
  7. ^ Trust(1989年) p.124
  8. ^ Paliwal(2006年) p.7
  9. ^ Congress(2008年) p.215
  10. ^ “Community - Prominent Kashmiris” (英語). Kecss.org. 2015年1月12日閲覧。
  11. ^ Sonia(2004年) p.xxii
  12. ^ a b Frank R. Moraes. “Jawaharlal Nehru” (英語). Britannica.com. 2015年1月12日閲覧。
  13. ^ a b “Kamala Nehru” (英語). Iloveindia.com. 2015年1月12日閲覧。
  14. ^ “Vijaya Lakshmi Pandit” (英語). Encyclopedia.com. 2015年1月12日閲覧。
  15. ^ “Clear-Eyed Sister” (英語). TIME.com (1955年1月3日). 2015年1月12日閲覧。
  16. ^ ANAND(2014年) p.117
  17. ^ “Governors of Gujarat: details of the life sketch of BK Nehru” (英語). Rajbhavan.gujarat.gov.in. 2015年1月12日閲覧。
  18. ^ a b “A forgotten patriot” (英語). Thehindu.com (2002年10月20日). 2015年1月12日閲覧。
  19. ^ “1966: Indira Gandhi takes charge in India” (英語). BBC.co.uk. 2015年1月12日閲覧。
  20. ^ “1984: Indian prime minister shot dead” (英語). BBC.co.uk. 2015年1月12日閲覧。
  21. ^ “Nayantara Sahgal” (英語). Mussooriewriters.com. 2015年1月12日閲覧。
  22. ^ Rasheed Kidwai (2013年7月27日). “Death bridges a bitter family divide” (英語). Telegraphindia.com. 2015年1月12日閲覧。
  23. ^ Mansingh(2006年) p.233
  24. ^ Sharma(2011年) p.63
  25. ^ a b “Sonia Gandhi” (英語). Britannica.com. 2015年1月12日閲覧。
  26. ^ Hussain(2009年) p.6
  27. ^ Katherine Frank (2004年8月23日). “What If Sanjay Gandhi Had Survived The 1980 Air Crash?” (英語). Outlookindia.com. 2015年1月12日閲覧。
  28. ^ a b “About Maneka Gandhi” (英語). Elections.in. 2015年1月12日閲覧。
  29. ^ Raj Singh (2015年1月4日). “10 facts to know about Robert Vadra, the stylish son-in-law of Congress president Sonia Gandhi” (英語). Indiatvnews.com. 2015年1月12日閲覧。
  30. ^ “Rahul Gandhi” (英語). Timesofindia.indiatimes.com. 2015年1月12日閲覧。
  31. ^ “Rahul Gandhi gets bigger role in Congress, appointed party vice-president” (英語). Timesofindia.indiatimes.com (2013年1月19日). 2015年1月12日閲覧。
  32. ^ “インド国民待望のカリスマ主婦 インディラ元首相の再来とも”. 47news.jp (2009年5月12日). 2015年1月12日閲覧。
  33. ^ Chand(1991年) p.8
  34. ^ “5 facts about Varun Gandhi, BJP's youngest general secretary” (英語). Firstpost.com (2013年3月31日). 2015年1月12日閲覧。

参考文献

  • Peter Lyon (2008年) (英語). Conflict Between India and Pakistan: An Encyclopedia (Roots of Modern Conflict). ABC-CLIO. ISBN 978-1576077122 
  • M. Chalapathi Rau (1967年) (英語). Nehru for Children. Children's Book Trust. ISBN 978-8170110354 
  • Om Prakash Paliwal (2006年) (英語). Rameshwari Nehru, Patriot and Internationalist. University of Michigan 
  • Indian National Congress (2008年) (英語). 100 glorious years: Indian National Congress, 1885-1985. University of Michigan 
  • Unknown (1989年) (英語). Our Leaders. Children's Book Trust. ISBN 978-8170118428 
  • RAGHUBIR LAL ANAND (2014年) (英語). IS God DEAD?????. Partridge Publishing. ISBN 978-1482818239 
  • Sonia ( Ed.) (2004年) (英語). Two Alone , Two Together : Letters Betwe. Penguin Books India. ISBN 978-0143032458 
  • Surjit Mansingh (2006年) (英語). Historical Dictionary of India. Scarecrow Press. ISBN 978-0810865020 
  • Vishwamitra Sharma (2011年) (英語). Famous Indians of the 20th Century. V&S Publishers. ISBN 978-8192079684 
  • Yasir Hussain (2009年) (英語). Congress Voted to Power Why?. Epitome Books. ISBN 978-9380297019 
  • Attar Chand (1991年) (英語). Rajiv Gandhihis Mind and Ideology. Gyan Publishing House 

関連項目

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