サン=ポル伯

サン=ポル伯(フランス語:Comté de Saint-Pol)は、現在のパ=ド=カレー県のテルノワ地域を支配したフランスの伯爵。アルトワ伯領およびブローニュ伯領の間に位置し、その名は首都であったサン=ポル=シュル=テルノワーズからつけられた。サン=ポル=シュル=テルノワーズはもともと広く深い堀に囲まれた、二つの高い城からなる要塞を起源とする。

歴代サン=ポル伯

カンダヴェン家(Maison de Campdavaine)

  • ロジェ(1031年 - 1067年) - 出自不詳。初代サン=ポル伯。アドウィド(Hadwide)と結婚し、マナセとロベールを儲けた。妻アドウィドおよびロベールは1051年以前に死去し、マナセも1051年から1067年の間に死去した。
  • ユーグ1世(1067年 - 1070年) - アルドル司祭ランベール(Lambert d'Ardres)の記述でのみ存在が確認できる[1]。1060年にクレマンスと結婚し、ギー、ユーグ、ウスタシュの3人の息子をもうけた。クレマンスはロジェの娘で、ユーグ自身はポンティユー家の出身とも考えられている[2]。1078年11月25日、教皇グレゴリウス7世はユーグ1世の3人の息子に「サン=ポル伯」の称号を与えた。
  • ギー1世(1070年 - 1083年) - ユーグ1世の子。継承時は年少であったため、母の再婚相手アルドル男爵アルノールが摂政をつとめた。1083年、未婚のまま死去、弟ユーグ2世が伯位を継承した。
  • ユーグ2世(1070/83年 - 1118/30年) - ギー1世の弟、エリセンド・ド・ポンティユーおよびマルグリット・ド・クレルモンと結婚。
  • ユーグ3世(1118/30年 - 1141年) - ユーグ2世の子
  • アンゲラン(1141年 - 1150年) - ユーグ3世の長男、1150年にアヴェーヌ領主ニコラの娘と結婚したすぐ後に死去、長弟ユーグはその数日前に死去していたため、次弟アンセルムが跡を継いだ。
  • アンセルム(1150年 - 1165年) - ユーグ3世の三男
  • ユーグ4世(1165年 - 1205年) - アンセルムの子、エノー伯ボードゥアン4世の娘ヨランドと結婚。
  • エリザベート - ユーグ4世の娘で女子相続人(1180年 - 1212年)。 ゴーシェ3世・ド・シャティヨンと結婚。

シャティヨン家

  • ゴーシェ3世(1205年 - 1219年) - 1196年にユーグ4世の娘エリザベートと結婚
  • ギー2世(1219年 - 1226年) - ヌヴェール女伯、オセール女伯およびトネール女伯アニェス2世エルヴェ4世・ド・ドンジーの娘)と結婚
  • ユーグ5世(1226年 - 1248年) - ブロワ女伯マリー・ダヴェーヌと結婚
  • ギー3世(1248年 - 1289年) - 1254年にマティルド・ド・ブラバン(1224年 - 1288年)と結婚
  • ユーグ6世(1289年 - 1292年) - 1292年よりブロワ伯
  • ギー4世(1292年 - 1317年) - 1292年にマリー・ド・ブルターニュと結婚
  • ジャン(1317年 - 1344年) - 1319年にジャンヌ・ド・フィエンヌと結婚
  • ギー5世(1344年 - 1360年) - 1292年にジャンヌ・ド・リュクサンブール=リニーと結婚
  • マオー(1360年 - 1378年)- 1354年にリニー伯ギー・ド・リュクサンブールと結婚

リュクサンブール=リニー家

  • ギー(1360年 - 1371年)
  • ワレラン3世(1371年 - 1415年)
  • フィリップ(1415年 - 1430年) - ブラバント公およびリンブルフ公。アントワーヌ・ド・ブルゴーニュとワレラン3世の娘ジャンヌの子
  • ジャンヌ(1430年)
  • ピエール1世(1430年 - 1433年)
  • ルイ(1433年 - 1475年)
  • ピエール2世(1475年 - 1482年)
  • マリー1世(1482年 - 1547年) - 1460年にローモン伯ジャックと結婚、1487年にヴァンドーム伯フランソワと再婚。

ブルボン=ヴァンドーム家

  • フランソワ1世(2世) - マリー1世とヴァンドーム伯フランソワの子。エストゥトヴィル女公アドリエンヌと結婚。
  • フランソワ2世(3世) - フランソワ1世(2世)の子。1546年に10歳で没。
  • マリー2世 - フランソワ2世(3世)の妹。最初にソワソン伯ジャン(ヴァンドーム公シャルルの子)と結婚。1560年にヌヴェール公フランソワ1世と結婚。1563年にロングヴィル公レオノールと結婚。

オルレアン=ロングヴィル家

  • フランソワ3世(4世)- マリー2世とロングヴィル公レオノールの子
  • アンリ2世 - ロングヴィル公
  • ジャン・ルイ - ロングヴィル公
  • シャルル・パリ - ロングヴィル公
  • ジャン・ルイ(再位)
  • マリー - アンリ2世の娘

マリーは1705年11月17日に、エピノワ公ルイ1世・ド・ムランの寡婦エリザベート・テレーズ・ド・ロレーヌ(ジョワイユーズ公フランソワ・マリー・ド・ロレーヌの娘)にサン=ポル伯領を売却した。

ムラン家およびロアン=スービーズ家

  • エリザベート・テレーズ・ド・ロレーヌ
  • ルイ2世・ド・ムラン - エリザベート・テレーズ・ド・ロレーヌとエピノワ公ルイ1世・ド・ムランの子
  • シャルル・ド・ロアン=スービーズ - ルイ2世・ド・ムランの甥、エリザベート・テレーズ・ド・ロレーヌの外孫

脚注

  1. ^ Jean-François Nieus, Un pouvoir comtal entre Flandre et France : Saint-Pol 2005, p. 56
  2. ^ Jean-François Nieus, Un pouvoir comtal entre Flandre et France : Saint-Pol 2005, p. 57

参考文献

  • G.-Er. Sauvage Histoire de Saint-Pol, Impr. de J. Degeorge, 1834.
  • Maur-François Dantine, Charles Clémencet, Nicolas Viton de Saint-Allais, Ursin Durand, François Clément L'art de vérifier les dates des faits historiques, des chartes, des chroniques et autres anciens monuments, depuis la naissance de Notre-Seigneur par le moyen d'un table chronologique ..., Valade, 1818. [1]
  • Eugène François Joseph Tailliar Recueil d'actes des XIIe. et XIIIe. siècles en langue romane wallonne du Nord de la France, Impr. de A. d'Aubers, 1849.

関連項目