サラ・フラー・アダムス

サラ・フラー・アダムス
マーガレット・ギリーズ(英語版)によるスケッチ(写本)
ペンネーム S.Y.[1]
誕生 サラ・フラー・フラワー
(1805-02-22) 1805年2月22日
イングランドの旗 イングランドオールド・ハーロウ(英語版)
死没 1848年8月14日(1848-08-14)(43歳)
イングランドの旗 イングランドロンドン
墓地 イングランドの旗 イングランドフォスター・ストリート(英語版)
職業 詩人、賛美作詞家
代表作 主よ御許に近づかん
配偶者
ウィリアム・ブリッジズ・アダムス (m. 1834)
親族 大おじ:ウィリアム・フラー(英語版)
大おじ:リチャード・フラー(英語版)
おじ:リチャード・フラワー(英語版)
姉:エリザ・フラワー(英語版)
ジョン・クレイトン(英語版)
署名
ウィキポータル 文学
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サラ・フラー・フラワー・アダムス(Sarah Fuller Flower Adams, 1805年2月22日 - 1848年8月14日)は、イングランドの詩人、作詞家[2]。主に賛美歌の作詞をしており、「主よ御許に近づかんの作詞をしたことで知られる。

生い立ち・家系

1805年2月22日、エセックスオールド・ハーロウ(英語版)で生まれ、1806年9月にビショップス・ストートフォード(英語版)の教会で洗礼を受ける[3]。父親のベンジャミン・フラワーは急進的な編集者であり、サラはその下の娘であった[4]

父方の祖母マーサの家系は銀行業を営んでおり、姉のエリザ・フラワー(英語版)は作曲家になった[5]。おじのリチャード・フラワー(英語版)とその家族は1822年にアメリカ合衆国へと移住し、イリノイ州アルビオン(英語版)という町を開拓した[6]

サラの母親は彼女が5歳の時に死亡したため、父親が娘たちの教育を行った[7]。家族はミドルセックスドールストン(英語版)に移り住み、そこで著述家ハリエット・マーティノー(英語版)に出会った。1823年に友人の宣教者ウィリアム・ジョンソン・フォックスと休暇でスコットランドを訪れた際には、ベン・ローモンド山(英語版)の女性登山記録を更新している。ロンドンのサウスプレイス・ユニテリアン教会の奉仕者であるフォックスとアダムス姉妹は親しい関係を持ち、フォックスは姉妹の家を頻繁に訪れていた。その後は詩人のロバート・ブラウニングとも友人になり、姉妹とキリスト教信仰について議論した[2]

経歴

1825年ごろに父親が死去すると、姉妹はフォックス家の一員となった[8]。姉妹は文字通り追求をはじめ、アダムスが先に体調を崩して結核を患った。その直後に姉妹はロンドン郊外のアッパー・クラプトン(英語版)へと移り住み、フォックスが牧会するフィンズベリー(英語版)のサウスプレイス教会へ通うようになった。彼は姉妹を励まし、その代わりに姉妹も彼の仕事を手伝っていた[8]。姉のエリザが礼拝音楽を手掛け、アダムスは讃美歌の歌詞を書いた。フォックスは『ウエストミンスター・レビュー(英語版)』の著者[7]であり、ユニテリアン主義についての雑誌『マンスリー・レポジトリ(英語版)』には、アダムスが友人ハリエット・テイラー・ミルの家で出会った鉄道技師で論客のウィリアム・ブリッジズ・アダムス(英語版)のエッセイや詩、物語が掲載された。その後1834年にフラーはアダムスと結婚し、エセックスラウトン(英語版)に住んだ。

結婚後、フラーは夫に勧められた演劇の道へと進んだ。1837年にはリッチモンドでマクベス夫人(英語版)ヴェニスの商人ポーシャ(英語版)を演じ、いずれも成功に終わった。その後ウェスト・エンド・シアターの登竜門とされるバースでの公演にオファーされるが、体調を崩したため文筆の道へと戻った。

1841年、自身最大の出版物Vivia Perpetua, A Dramatic Poemを発行する。この物語は、男性の支配下にいるのを拒みキリスト教信仰を捨てた若い妻が処刑されるという話である。また彼女は『ウェストミンスター・レビュー』にも寄稿し、詩人エリザベス・バレット・ブラウニングへの批評や、反穀物法同盟を支持する論説を執筆した。彼女の文筆活動は主に男女平等と労働者階級の権利を獲得するためのものであった。一方で牧師からの勧めに応じ、彼女は13の賛美歌詞を1840年から1841年にかけて書いた。この中には「主よ御許に近づかん」も含まれていた。また姉のエリザも讃美歌用に62曲を作っている。その他、1845年には子供向けのカテキズムThe Flock at the Fountain」も発行している[9]。彼女が歌詞を書いた「主よ御許に近づかん」はマサチューセッツ州ボストン在住の牧師ジェームズ・フリーマン・クラーク(英語版)が1844年に発行した本に収録され、アメリカのキリスト教徒にも知られるようになった[6]。そして同曲は1912年タイタニック号沈没事故の際に繰り返し演奏されたことで知られている[10]

私生活

母親が虚弱体質であったこともあり、アダムスも姉のエリザも体が弱かった。肺の病にかかったエリザは1846年12月に死去し、その後アダムスも体調を崩しがちになった。そして1848年8月14日、43歳の若さで亡くなり、姉や両親と同じ墓地に葬られた[9][6][4]

アダムス夫妻には子供がおらず、ラウトンにあった旧居はブルー・プラークに登録された。彼女のことを著作家リチャード・ガーネットは「彼女を知る者はみな彼女の情熱について語る。彼女は独立的な美しさと魅力があり、デリケートで実に女性らしく、頭脳明晰であった。」と評した[11]

作品

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ Brown, Susan, Patricia Clements, and Isobel Grundy, eds. Sarah Flower Adams entry: Life screen within Orlando: Women's Writing in the British Isles from the Beginnings to the Present. Cambridge: Cambridge University Press Online, 2006. http://orlando.cambridge.org/. 28 November 2018.
  2. ^ a b Blain, Virginia H. (2004). "Adams, Sarah Flower (1805–1848)". Oxford Dictionary of National Biography. Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/129. 2017年11月3日閲覧 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  3. ^ FamilySearch, https://familysearch.org/ark:/61903/1:1:NPSW-JMN 2015年10月4日閲覧。 
  4. ^ a b Julian 1892, p. 16.
  5. ^ Hale, Sarah Josepha Buell (1853). Woman's Record; Or, Sketches of All Distinguished Women, from the Beginning.... Harper & bros. https://archive.org/details/womansrecordors00halegoog  874 pp.
  6. ^ a b c Hatfield 1884, p. 4.
  7. ^ a b Hatfield 1884, p. 2.
  8. ^ a b American Unitarian Association 1922, p. 1094.
  9. ^ a b Hatfield 1884, p. 3.
  10. ^ “Titanic's Band”. Titanic-Titanic. 2013年4月3日閲覧。
  11. ^ Garnett 1885, p. 101.

出典

  • American Unitarian Association (1922). Christian Register (Public domain ed.). American Unitarian Association. https://books.google.com/books?id=Abc_AQAAMAAJ&pg=PA1094 
  • Hatfield, Edwin Francis (1884). The Poets of the Church: A Series of Biographical Sketches of Hymn-writers with Notes on Their Hymns (Public domain ed.). A. D. F. Randolph. p. 1. https://archive.org/details/poetschurchaser00hatfgoog 
  • Julian, John (1892). A Dictionary of Hymnology: Setting Forth the Origin and History of Christian Hymns of All Ages and Nations (Public domain ed.). C. Scribner's Sons. p. 16. https://archive.org/details/bub_gb_I-0sAAAAYAAJ 
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