コンスタンティン・ハンセン

コンスタンティン・ハンセン
(画)ヴィルヘルム・マーストラン

コンスタンティン・ハンセン(Carl Christian Constantin Hansen、1804年11月3日 - 1880年3月29日)は、デンマークの画家である。「デンマーク黄金時代」の芸術家の一人である。

略歴

人気のある肖像画家、ハンス・ハンセンの息子としてローマで生まれた。すぐに、父親の活動拠点の一つであったウィーンに家族で移り、父親が家族の肖像画を描いたモーツァルトの未亡人、コンスタンツェ・モーツァルトがコンスタンティンの名付け親になった[1][2]。12歳からデンマーク王立美術院で建築を学ぶが21歳になった時、絵画に転じ、1824年からクリストファー・エカスベアの指導を受けた。この頃両親があいついで、チフスで亡くなり、妹を養わなければならなくなり、父親に依頼されていたいくつかの仕事を、引き継いで行った。

1835年に数年間の外国留学資金を与えられ、ベルリンドレスデンプラハニュルンベルクミュンヘンなどを経て、イタリアを訪れた。ローマを拠点にナポリポンペイも訪れた。イタリアではローマに滞在していたデンマーク人芸術家たち、彫刻家のベルテル・トルバルセン、画家のヤアアン・ローズクリステン・ケプケ、ゲオルク・ヒルカーたちとイタリア各地を旅して作品を描いた[3]

8年間のイタリア滞在の後、帰路ミュンヘンで、フレスコ画の技法を学んで、デンマークに帰国した。デンマークでは1844年から1853年の期間をかけて。コペンハーゲン大学の施設に壁画をヒルガーと描いた。ヒルガーが装飾を描き、ハンセンは神話の人物を描いた。

1846年に結婚し、1854年に王立美術院の教授に任命された。1864年に王立美術院の会員になった。娘のElise Konstantin-Hansen, (1858–1946)は画家として有名になり、もう一人の娘、Kristiane Konstantin-Hansen (1848–1925)はタペストリーの作家となった[4] [5]

作品

  • 「ローマのデンマーカ人芸術家たち」(1837)
    「ローマのデンマーカ人芸術家たち」(1837)
  • デンマーク憲法制定議会
    デンマーク憲法制定議会
  • ローマの寺院
    ローマの寺院
  • ナポリの劇の朗読者
    ナポリの劇の朗読者
  • 画家の娘
    画家の娘
  • 果物籠を持つ少女
    果物籠を持つ少女

参考文献

  1. ^ Ph. Weilbach. “Hansen, Hans, 1769-1828”. Dansk biografisk Lexikon. 2019年3月1日閲覧。
  2. ^ “Constanze Mozart”. fembio.org. 2019年3月1日閲覧。
  3. ^ Sys Hartmann. “Georg Hilker”. Kunstindeks Danmark & Weilbach Kunstnerleksikon. 2019年3月1日閲覧。
  4. ^ Jens Peter Munk. “Elise Konstantin-Hansen (1858-1946)”. Dansk Kvindebiografisk Leksikon. 2019年3月1日閲覧。
  5. ^ Lone Egeberg. “Kristiane Konstantin-Hansen (1848-1925)”. Dansk Kvindebiografisk Leksikon. 2019年3月1日閲覧。

外部リンク

  • KID Kunst Index Danmark ("Art Index Denmark")
  • Danish Biographical Encyclopedia ("Dansk biografisk Leksikion")
  • Images of the Old Norse Gods
  • Wikimedia Commons
  • Monrad, Kasper (1993). The Golden Age of Danish Painting. New York: Hudson Hills Press.
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