コリン・マクローリン

コリン・マクローリン
生誕 1698年2月
スコットランド王国の旗 スコットランド王国 キルモダン(英語版)
死没 1746年6月14日
スコットランド王国の旗 スコットランド王国 エディンバラ
居住 スコットランド王国の旗 スコットランド王国
研究分野 数学
研究機関 アバディーン大学
エディンバラ大学
出身校 グラスゴー大学
主な指導学生 ロバート・アダム
主な業績 オイラーの和公式
テイラー展開
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示

コリン・マクローリン(Colin Maclaurin, 1698年2月 - 1746年6月14日)は、スコットランド数学者である。マクローリン展開で知られる。

略歴

アーガイル州のキルモダンで生まれた。父はグレンダルエルの牧師ジョン・マクローリンで、マクローリンが幼い頃に亡くなり、母もマクローリンが9歳になる前に亡くなった。その後、叔父であるキルフィナンの牧師ダニエル・マクラウリンのもとで教育を受けた。神童だった彼は11歳で大学に入学した。

1717年に19歳の若さでアバディーン大学マーシャル・カレッジ教授に就任(2008年にアメリカのアリア・サバーが韓国建国大で18歳で教授になるまで、最年少記録)。エディンバラ大学教授。

若い頃、高齢のアイザック・ニュートンと一緒にロンドンで研究したことがあり、1725年、ニュートンはマクローリンの才能を認め、大学宛てにマクローリンの推薦状を書いている。マクローリンは、ニュートンの弟子であることを自認して、彼の考えを広く紹介し、『導関数論』(Treatise of Fluxions)を1742年に出版し、また、1748年『サー・アイザック・ニュートン』(Sir Isaac Newton's Philosophical Discoveries)を出版して、ニュートンの考えを明快に解説し、スコットランド啓蒙運動に多くの影響を与えた[1]。1719年王立協会フェロー選出。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ ジャック・レプチェック著、平野和子訳『ジェイムズ・ハットン -地球の年齢を発見した科学者-』春秋社 2004年 69-70ページ
  • 表示
  • 編集
典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般
  • FAST
  • ISNI
  • VIAF
国立図書館
  • ノルウェー
  • チリ
  • フランス
  • BnF data
  • ドイツ
  • イタリア
  • イスラエル
  • ベルギー
  • アメリカ
  • チェコ
  • オーストラリア
    • 2
  • ギリシャ
  • クロアチア
  • オランダ
  • ポルトガル
  • バチカン
学術データベース
  • CiNii Books
  • CiNii Research
  • MathSciNet
  • Mathematics Genealogy Project
  • zbMATH
人物
  • ドイッチェ・ビオグラフィー
  • Trove(オーストラリア)
    • 1
    • 2
その他
  • SNAC
  • IdRef