エレーナ・ソコロワ

エレーナ・ソコロワ
Elena SOKOLOVA
フィギュアスケート選手
生誕 (1980-02-15) 1980年2月15日(44歳)
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国モスクワ
身長 162 cm
選手情報
所属クラブ Sport Club Moskvitch
引退 2007年
ISUパーソナルベストスコア
総合177.852006 世界選手権
SP60.982006 世界選手権
FS116.932006 欧州選手権
獲得メダル
フィギュアスケート
世界選手権
2003 ワシントンD.C. 女子シングル
欧州選手権
2003 マルメ 女子シングル
2004 ブダペスト 女子シングル
2006 リヨン 女子シングル
世界ジュニア選手権
1997 ソウル 女子シングル

エレーナ・セルゲーエヴナ・ソコロワロシア語: Еле́на Серге́евна Соколо́ва, ラテン翻字:Elena Sergeevna Sokolova, 1980年2月15日 - )は、ロシア女性フィギュアスケート選手。出生地はモスクワ。1998年長野オリンピック7位入賞、2006年トリノオリンピック(14位)女子シングルロシア代表。2003年世界選手権銀メダリスト。現在はフィギュアスケートコーチ。愛称はレーナ。ロシア語読みでは「イリェーナ・スィルギェーイヴナ・サカローヴァ」が近い。

人物

大柄な体格を生かしたダイナミックな演技を持ち味とする。世界選手権やオリンピックのタイトルに手が届くほどではないが、時折素晴らしい演技を披露して注目を浴びる。コンディション調整が上手く行ってジャンプが決まった時には、普段の彼女からはなかなか想像出来ない高得点を叩き出す。彼女のファンはこうした(年に1度ペースの)ビッグウェーヴを心待ちにしている。笑顔がチャームポイントである。

経歴

モスクワに生まれ、4歳ころにスケートをはじめた。本格的にフィギュアスケートを始めたのは8歳のときだった。1995-1996年シーズンまではロシア代表にも選ばれなかったが、1995年ヘルシンキで行われたフィンランディア杯に出場し3位入賞。翌1996-1997年シーズンのフィンランディア杯で再び3位となり、フランスでのセントガービス杯のフリーで優勝、グランプリシリーズにも参戦しスケートアメリカ3位、ロシア杯4位。ロシア選手権で5位となり、初出場の世界ジュニア選手権では2位となった。1997-1998年シーズン、グランプリシリーズで2度表彰台に上り、グランプリファイナルへ出場。この実績により長野オリンピックにも出場を果たし7位入賞と健闘した。

2000年の春には故郷モスクワを離れサンクトペテルブルクアレクセイ・ミーシンに師事した。しかしオリンピックイヤーの2001-2002年シーズン、ソコロワは緒戦のスケートアメリカで10位となり、続くロシア杯でも4位となった。ロシア選手権ではイリーナ・スルツカヤマリア・ブッテルスカヤビクトリア・ボルチコワに次いで4位となり、2001-2002シーズンを通した成績でも上記3人を上回ることは出来ずにソルトレイクシティオリンピックロシア女子出場枠の3枠には入れなかった。

また、当時師事していたアレクセイ・ミーシンコーチとの師弟関係も良好とは言えず[1]、師弟関係を解消して以前のコーチだったヴィクトール・クドリャフツェフ夫妻に再び師事することを選択した。

翌2002-2003年シーズンはロシア選手権で初優勝を果たすと、続く欧州選手権2003年世界選手権でも自身最高の2位となり銀メダルを獲得、復調を強く印象づけた。

2005-2006年シーズン、グランプリシリーズ初戦のスケートアメリカで優勝し、エリック・ボンパール杯では6位だったもののグランプリファイナルへ進出。ロシア選手権でも優勝を果たし、2度目のオリンピックとなるトリノオリンピックに出場。トリノオリンピックでのプログラムは、「トゥーランドット」(ショートプログラム)、「ロミオとジュリエット」(フリープログラム)であったが、本番ではショートプログラムもフリースケーティングも不調に終わり、14位に終わった。1ヵ月後の2006年世界選手権ではメダルにあと一歩の4位入賞に入った。

2006-2007年シーズン、ロシア選手権ではドロニナイエヴレワに次いで3位。世界選手権代表に選出されるも、2007年世界選手権は13位。同シーズンをもって現役を引退した。最後のシーズンで思うように成果が残せなかったことについて、ピセーエフ理事はソコロワのプロ意識と体重コントロールが原因だったと語っている[2]

その後、物理学者の男性と結婚、長男を出産した後に子育てに専念するかどうかで悩みながらもコーチに転身した[3]。2014年8月現在、8人の少年少女を指導している[4]

主な戦績

大会/年 96-97 97-98 98-99 99-00 00-01 01-02 02-03 03-04 04-05 05-06 06-07
冬季オリンピック 7 14
世界選手権 8 8 2 10 7 4 13
欧州選手権 2 3 5 2 7
ロシア選手権 5 5 4 6 4 4 1 1 2 1 3
GPファイナル 5 4 6 5
GPロシア杯 4 2 1 3 2 4 9 4 4
GP中国杯 7
GPスケートアメリカ 6 3 2 3 3 10 1
GPエリック杯 6
GPスケートカナダ 9
GPNHK杯 6 3
GPボフロスト杯 1
ネーベルホルン杯 1
フィンランディア杯 3 棄権 1 1 1 4
ユニバーシアード 1
世界Jr.選手権 2

シニア

2006-2007 シーズン


開催日 大会名 SP FS 結果
2007年3月20日-25日 2007年世界フィギュアスケート選手権東京 11
55.83
14
93.94
13
149.77
2007年1月22日-28日 2007年ヨーロッパフィギュアスケート選手権ワルシャワ 8
48.85
7
90.86
7
139.71
2007年1月4日-7日 ロシアフィギュアスケート選手権モスクワ 2
53.10
2
91.66
3
144.76
2006年11月24日-26日 ISUグランプリシリーズ ロシア杯モスクワ 2
52.08
6
91.03
4
143.11
2006年11月09日-12日 ISUグランプリシリーズ 中国杯南京 7
48.50
6
85.67
7
134.17


2005-2006 シーズン


開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2006年3月19日-26日 2006年世界フィギュアスケート選手権カルガリー 6
24.42
3
60.98
3
116.87
4
202.27
2006年2月10日-26日 トリノオリンピックトリノ - 18
46.69
10
95.66
14
142.35
2006年1月17日-22日 2006年ヨーロッパフィギュアスケート選手権リヨン - 2
60.88
2
116.93
2
177.81
2005年12月16日-18日 2005/2006 ISUグランプリファイナル東京 - 5
52.30
5
97.78
5
150.08
2005年11月17日-20日 ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯パリ - 5
48.20
6
104.32
6
152.52
2005年10月20日-23日 ISUグランプリシリーズ スケートアメリカアトランティックシティ - 1
57.94
2
105.08
1
163.02
2005年9月29日-10月2日 2005年ネーベルホルン杯オーベルストドルフ - 1
58.70
1
99.86
1
158.56


2004-2005 シーズン


開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2005年3月14日-20日 2005年世界フィギュアスケート選手権モスクワ 3
24.39
6
59.63
8
105.46
7
189.48
2005年1月25日-30日 2005年ヨーロッパフィギュアスケート選手権トリノ - 5
52.46
4
98.42
5
150.88
2004年11月25日-28日 ISUグランプリシリーズ ロシア杯モスクワ - 5
51.18
4
96.76
4
147.94
2004年11月4日-7日 ISUグランプリシリーズ NHK杯名古屋 - 2
52.98
4
95.78
3
148.76
2004年10月9日-10日 2004年フィンランディア杯ヘルシンキ - 3 4 4


2003-2004 シーズン


開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2004年3月22日-28日 2004年世界フィギュアスケート選手権ドルトムント 2 14 9 10
2004年2月2日-8日 2004年ヨーロッパフィギュアスケート選手権ブダペスト - 6 2 3
2003年11月20日-23日 ISUグランプリシリーズ ロシア杯モスクワ - 5
50.52
9
75.81
9
126.33
2003年10月30日-11月3日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダ(ミシサガ) - 5
51.86
9
80.75
9
132.61


2002-2003 シーズン


開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2003年3月24日-30日 2003年世界フィギュアスケート選手権ワシントンD.C. 2 2 2 2
2003年1月20日-26日 2003年ヨーロッパフィギュアスケート選手権マルメ 1 1 2 2
2002年11月28日-12月1日 ISUグランプリシリーズ NHK杯京都 - 6 6 6


2001-2002 シーズン


開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2001年11月21日-25日 ISUグランプリシリーズ ロシア杯サンクトペテルブルク - 3 4 4
2001年10月24日-28日 ISUグランプリシリーズ スケートアメリカコロラドスプリングス - 9 10 10
2000年10月14日-15日 2000年フィンランディア杯ヘルシンキ - 1 1 1


1999-2001 シーズン
1998-1999 シーズン


開催日 大会名 SP FS 結果
1999年03月04日-07日 ISUグランプリファイナルサンクトペテルブルク 4 4 4
1999年01月21日-31日 ユニバーシアード冬季競技大会ポプラド 3 1 1
1998年11月26日-29日 ISUグランプリシリーズ ロシア杯モスクワ 1 1 1
1998年11月12日-15日 ISUグランプリシリーズ スパルカッセン杯ゲルゼンキルヒェン 1 1 1
1998年10月29日-11月1日 ISUグランプリシリーズ スケートアメリカデトロイト 3 2 2
1998年10月2日-4日 1998年フィンランディア杯ヘルシンキ 3 1 1


1997-1998 シーズン


開催日 大会名 予選 SP FS 結果
1998年3月28日-4月5日 1998年世界フィギュアスケート選手権ミネアポリス 3 13 8 8
1998年2月8日-20日 長野オリンピック長野 - 10 7 7
1997年12月19日-21日 1997/1998 ISUチャンピオンシリーズファイナルミュンヘン - 5 5 5
1997年11月19日-23日 ISUグランプリシリーズ ロシア杯サンクトペテルブルク - 4 2 2
1997年10月22日-26日 ISUグランプリシリーズ スケートアメリカデトロイト - 6 3 3
1997年10月3日-5日 1997年フィンランディア杯ヘルシンキ - 6 - 棄権


プログラム

シーズン SP FS
2006-2007 トゥーランドット
作曲:ジャコモ・プッチーニ
ノートルダム・ド・パリ
作曲:リシャール・コクシアント
ロミオとジュリエット
作曲:ジェラール・プレギュルヴィック
振付:アラ・カパラノワ
2005-2006 ロミオとジュリエット[6]
作曲:ジェラール・プレギュルヴィック
振付:アラ・カパラノワ
2004-2005 ドン・キホーテ
作曲:レオン・ミンクス
幻想序曲『ロメオとジュリエット』[6]
作曲:ピョートル・チャイコフスキー
2003-2004 ストレンジ・パラダイス
曲:ボンド
だったん人の踊り
作曲:アレクサンドル・ボロディン
ノートルダム・ド・パリ
作曲:リシャール・コクシアント
Do not Renounce Being in Love
作曲:ミカエル・タリヴェルディエフ
2002-2003 サムソンとデリラ
作曲:カミーユ・サン=サーンス
ノートルダム・ド・パリ
作曲:リシャール・コクシアント
2001-2002 Music
作曲:ゲオルギー・スヴィリードフ
仮面舞踏会
作曲:アラム・ハチャトゥリアン

脚注

  1. ^ Елене Соколовой коньки свалились на голову ミーシンコーチは取材に対して「ソコロワは馬鹿騒ぎをしてスポーツ選手が持つ規律を犯した」(だから師弟関係を解消した)と答えていたが、それに対しソコロワ本人は「若い選手ならだれでも自由時間は楽しむものだし、モスクワからサンクトペテルブルクに引っ越してから友人も少なく孤独に耐えていた。自分はそのような不用心な人間ではない、ミーシンコーチは規律を犯したことだけを記者に言うので…(自分は誤解されている)」と取材に答えている(この時、ソコロワは頭部に怪我をして、7-8か月医師から安静を命じられた)。
  2. ^ Глава федерации провел воспитательную беседу с фигуристкой Еленой Соколовой ピセーエフ理事は、「ソコロワは非常に才能ある選手であるが、その才能を十分に伸ばしきっていない。ジャンプが飛べないのもジャッジからの採点が辛いのも体重管理と練習不足によるものである。(2002年に頭部に)怪我をしてからもう十分時間が経って治っている。ソコロワとコーチを尊重して敢えて黙っていたがなかなかソコロワは態度を改善しなかった。見るに見かねて話し合いの場を持ち『練習をすること、そして体重を落とすこと』と助言した時にソコロワは涙を浮かべて改善を約束したが、ほとんどその約束は為されなかった」と答えている。
  3. ^ Елена Соколова:«Лед как магнит —никогда тебя не отпускает» 夫は自分とフィールドが違い、自分のことを非常に良く理解してサポートしてくれている、と答えている。
  4. ^ Елена Соколова:«Лед как магнит —никогда тебя не отпускает» 取材に対し「現在は8人の少年少女を指導しています。前シーズンは経験を積ませるために小さな大会に彼らを出場させましたが、今シーズンは出来るだけ彼らを大会に出場させてあげたいです。以前習っていたクドリャフツェフ先生の主催するセルゲイ・ボルコフ記念大会に参加させたいです」と答えている。
  5. ^ 順位決定方法については2000/2001 ISUグランプリファイナルを参照のこと。
  6. ^ a b 「スタンダードナンバー比較 ロミオとジュリエット編」『フィギュアスケートDays vol.4』DAI-X出版、2007年10月、pp.68-71

外部リンク

  • 国際スケート連盟によるエレーナ・ソコロワのバイオグラフィー(英語)
  • エレーナ・ソコロワ - Olympedia(英語) ウィキデータを編集

1905: ? Volkova  1911-1915: Ksenia Caesar  1993: マリア・ブッテルスカヤ  1994: オルガ・マルコワ  1995-1999: マリア・ブッテルスカヤ  2000-2002: イリーナ・スルツカヤ  2003-2004: エレーナ・ソコロワ  2005: イリーナ・スルツカヤ  2006: エレーナ・ソコロワ  2007-2008: クセニア・ドロニナ  2009: アデリナ・ソトニコワ  2010: クセニヤ・マカロワ  2011-2012: アデリナ・ソトニコワ  2013: エリザベータ・トゥクタミシェワ  2014: アデリナ・ソトニコワ  2015: エレーナ・ラジオノワ  2016-2017: エフゲニア・メドベージェワ  2018: アリーナ・ザギトワ  2019: アンナ・シェルバコワ

 
ISUグランプリシリーズ(1995-)

1979: リサ=マリー・アレン  1980: 非開催  1981: ビッキー・デ・ブリーズ  1982: ロザリン・サムナーズ  1983: ティファニー・チン  1984: 非開催  1985: デビ・トーマス  1986: ティファニー・チン  1987: 非開催  1988: クラウディア・ライストナー  1989: トーニャ・ハーディング  1990: クリスティー・ヤマグチ  1991: トーニャ・ハーディング  1992: 佐藤有香  1993: オクサナ・バイウル  1994: スルヤ・ボナリー  1995-1997: ミシェル・クワン  1998: マリア・ブッテルスカヤ  1999-2002: ミシェル・クワン  2003: サーシャ・コーエン  2004: アンジェラ・ニコディノフ  2005: エレーナ・ソコロワ  2006: 安藤美姫  2007: キミー・マイズナー  2008-2009: 金妍兒  2010: 村上佳菜子  2011: アリッサ・シズニー  2012: アシュリー・ワグナー  2013: 浅田真央  2014: エレーナ・ラジオノワ  2015: エフゲニア・メドベージェワ  2016: アシュリー・ワグナー  2017-2018: 宮原知子  2019: アンナ・シェルバコワ  2020: マライア・ベル  2021: アレクサンドラ・トゥルソワ  2022: 坂本花織  2023: ルナ・ヘンドリックス

名称の変遷:スケートアメリカ(1979-現在)/ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(1995-現在)
名称の変遷:富士フイルム杯(1986-1987)/ネイションズ杯(1989-1994)/ISUグランプリシリーズ ネイションズ杯(1995-1996)/
ISUグランプリシリーズ スパルカッセン杯(1997-2001)/ISUグランプリシリーズ ボフロスト杯(2002)/ボフロスト杯(2003-2004)