イブラヒム・ルゴヴァ
イブラヒム・ルゴヴァ Ibrahim Rugova | |
イブラヒム・ルゴヴァ(2004年2月) | |
コソボ共和国 大統領 | |
任期 | 1992年5月25日 – 2000年2月1日 |
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任期 | 2002年3月4日 – 2006年1月21日 |
後任者 | ネジャト・ダツィ(英語版)(代行) |
出生 | (1944-12-02) 1944年12月2日 ユーゴスラビア王国、ツリンツェ |
死去 | (2006-01-21) 2006年1月21日(61歳没) セルビア・モンテネグロ セルビア共和国、プリシュティナ |
政党 | コソボ民主連盟 |
配偶者 | ファナ・ルゴヴァ |
署名 |
イブラヒム・ルゴヴァ(アルバニア語: Ibrahim Rugova, セルビア語: Ибрахим Ругова, 1944年12月2日 - 2006年1月21日)は、コソボの政治家。アルバニア人主導のコソボ政府および国際連合コソボ暫定行政ミッション(UNMIK)統治下の同国大統領を務めた。
略歴
1989年3月、コソボ社会主義自治州の権限をセルビア議会によって奪われたアルバニア人たちは選挙をボイコットし、同年12月に文学史・美学研究者のルゴヴァをコソボ民主連盟(LDK)の党首とした。その後、アルバニア人主導のコソボ政府が樹立され、1992年に行われた大統領選挙で、ルゴヴァが大統領に選ばれたが、この政府は国際的な承認は得られなかった。
コソボ紛争において、アルバニア系住民の中にあって穏健派指導者として行動し、平和的手段による独立運動を進めた。コソボのアルバニア人からルゴヴァは、国父と呼ばれた[1]。1999年5月5日から7月30日までイタリアに逃れた。
その後、2002年にUNMIKによって樹立された政府の大統領に選出された。2006年1月21日に肺癌のため、現職のままプリシュティナで死去した。61歳。UNMIKの統治下にあるコソボ自治州の地位をめぐって、セルビア共和国との交渉が本格化する矢先の死だった。
出典
- ^ http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/4634562.stm
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、イブラヒム・ルゴヴァに関連するカテゴリがあります。
- 追悼書(アルバニア語)
- コソボ民主連盟(アルバニア語)
- コソボ議会(アルバニア語)(セルビア語)(英語)
- Kosovo Albanians mourn lost leader(英語)
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背景 (ユーゴスラビアの崩壊) |
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1991年 十日間戦争 (スロベニアの独立) |
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1991年-1995年 クロアチア紛争 (クロアチアの独立) |
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1992年-1995年 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争 (ボスニア・ヘルツェゴビナ の独立と分割) |
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1998年-1999年 コソボ紛争 (コソボ自治州の セルビアからの分離) |
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2001年 マケドニア紛争 (アルバニア系住民の権利拡大) |
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関連人物 |
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関連項目 |
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