アドルフォ・バロンチェーリ(Adolfo Baloncieri, 1897年7月27日 - 1986年7月23日)は、イタリア王国・アレッサンドリア出身のサッカー選手、サッカー指導者。元イタリア代表。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。
経歴
クラブ
1897年、イタリア・アレッサンドリアの小村カステルチェリオーロに生まれた。幼少期の12年間をアルゼンチンのロサリオで過ごし、そこでサッカーを覚えた。1913年にイタリアに戻りアレッサンドリアに加入をすると、第一次世界大戦に銃兵として従軍した期間を挟んで1925年まで在籍した[1]。続いて7万リラの移籍金で加入したトリノではフリオ・リボナッティ(英語版)、ジーノ・ロッセッティ(英語版)と共に「驚異の三人組(Il trio delle meraviglie)」と呼ばれる前線を形成し、1926-27シーズンと翌1927-28シーズンのリーグタイトルを獲得した(前者のトリノの優勝はのちにアッレマンディ事件(イタリア語版)で取り消しとなった)[2][3]。
代表
イタリア代表として1920年アントワープ大会、1924年パリ大会、1928年アムステルダム大会と三度のオリンピックに参戦。キャプテンとして臨んだ1928年大会では銅メダルを獲得した[1]。代表では通算で47試合に出場し25得点を挙げたが、これはアレッサンドロ・アルトベッリ、フィリッポ・インザーギと並ぶ歴代6位タイの得点記録となっている。
タイトル
選手
- トリノ
- ディヴィジオーネ・ナツィオナーレ:1927-28(英語版)
- イタリア代表
- 中央ヨーロッパ・インターナショナル・カップ(英語版):1927-30(英語版)
- オリンピック銅メダル:1928
監督
- リグーリア
- キアッソ
脚注
[脚注の使い方]
- ^ a b “ADOLFO BALONCIERI Biography” (英語). Olympics.com. 2023年1月5日閲覧。
- ^ “BALONCIERI, Adolfo in Encicropedia dello Sport"” (イタリア語). treccani.it. 2023年1月5日閲覧。
- ^ “1927-1928: il primo scudetto” (イタリア語). Torino FC. 2023年1月5日閲覧。
外部リンク